何年もたまに寄っていた近くのファミマのイートインだった。そこではいつもコーヒー。それでタブレットで書きものをしたり、本を読んでいたりしていた。先日、わたしがいつものように誰もいないイートインでコーヒーを飲んで、このブログなど書いているとき、女性のスタッフが、ここは食事をするスペースでパソコンをするところではありません、と、きつい口調で注意した。ええ? そんなことは書いていないし、いままで何年もそう言われたこともないと、反論しようとしたが、そうなんですかと、やんわりと言って、内心はもう二度と来るかと、出てきた。別に、混んでいて、迷惑をかけるということもないし、たかが一時間くらいいたっていいだろうと思うのだが、何が気に食わないのか。酒は飲んではいけないとか、コロナのときには長居はできませんとは書いてあった。たまにしか寄らないから、別にどうということもないが、気分は悪かった。

そういうことが別のイタリアンレストランでもあった。そこは平塚のスーパーの二階のサイゼだったが、安いからよく行った。ランチも300円代からあり、それにドリンクバーをつけてもたったの91円だ。それでパソコンは使わないが、よく本は読みに寄った。二時間くらいいるか。それも午後の空いている時間帯だ。正午からは混むので、一人ではご迷惑かなと、いつも店のことを考えて遠慮してのことだ。

ところが、その日はランチは食べてきたので、ドリンクバーだけにした。それだけであれば300円くらいか。それでもスタバでコーヒー一杯飲むより安く、いろんなものがお替りして飲めて、読書には最適な場所として何年か前までは通っていた。その日はドリンクバーだけ頼んだのが席もがらがらのピークタイムを過ぎた午後だった。ウエイトレスがやってきて、わたしに向かって、ドリンクバーだけで長くいてもらっては困りますから。と、そう怒って言ったのだ。ええ? カスハラの逆バージョンか。いまは働いている人のほうが偉いのか。そのときは、さすがに気分を害して、サイゼのカスタマーセンターのようなところにメールでクレームを入れたが返事はなかった。

もうそこには二度と入りたくない。老人のわたしぐらい行かなくても売上には全然影響がないだろう。それより、おばさんたちが何人かで来ていて、大声でおしゃべりして、何時間もいるほうが迷惑だと思わないのか。

 

わたしのいる場所がそうしてだんだんとなくなる。海にワンタッチテントを買ったので、自転車に乗せて、それを砂浜の上で開いて、ごろんと寝転がってみたが、なんと、狭い。それに風が異様に強く、吹き飛ばされそうになる。何分もいないで退散した。ならば、公園はどうだと、花の終わった公園のベンチで本を開いた。すると、今度は蚊の攻撃だ。もう蚊が大発生している。これもたまらんと、退散。

どこで暇つぶししたらいいのだ。イートインは断られ、公園も海もファミレスにも入れないとなると、行くところがない。

 

いま、老人たちの居場所がない。それは図書館であったり、ショッピングセンターであったりするが、部屋にはなぜかいたくないのは、わたしは出たがり、アウトドア派だからだ。


そこで、ひらめいたが、そういう行き場のない老人たちがこれからはますます増えるから、商店街の空き店舗を活用して、居場所作りをしたらどうだろうか。それも老人福祉ではなく、新ビジネスとして、そんなに投資をしなくても、潰れた喫茶店とか飲み屋をそのまま居抜きで活用するから、内装もそのまま使う。ドリンクバーのディスペンサーだけをメーカーに手配して、コップやカップは用意しないといけないが、それは300円くらいで提供できるだろう。採算は合うから、どこでもドリンクバーだけでもやっているのだ。老人は何杯も飲めない。ただ、時間と場所が欲しいのだ。スタバやドトールでもいいが、老人はあまりいない。そこは混んでいて、何かいつも気ぜわしい。それより、別に気にすることのない、商店街の一角で、気楽に入れる店がいい。食事の提供も安くして、何品も出さなかったら、手間はかからないだろうが、いまは飲食店の人手不足で潰れているから、できるだけ省力化で、人手をかけないようにしたい。一人でできるようにする。掃除と食器洗いだけ。食べ物も自販機にして、厨房がいらないようにする、冷凍ものとか、すぐに給仕できるものだけにする。使い捨ての紙コップなどは経費がかかるので、できるだけそれは食器洗浄機で洗う。空き店舗だから、家賃は安いだろう。光熱費と家賃だけはかかる。

店の雰囲気は昭和レトロにする。懐かしいグッズで飾り、昔のポスターを貼る。そういうものはいまはレプリカもコピーも売っている。本物は高いが、古本屋でも売られている。ジュークボックスも置いたらいい。中古で売っているだろう。

BGMも60年代70年代のわれわれが青春時代に聴いた歌を流す。そこに来ると懐かしい雰囲気。意外と、そういう店はいまの若者たちにも受ける。学校帰りの買い食いの店になるかもしれないが、孫たちとじじばばの居場所も雰囲気は悪くない。

そういう店で出会いもあるし、マッチングできる人も出てくる。話し相手の老人たちが集まる。常連になると、毎日やってくる。顔見知りになる。そういう老人たちの場の提供が、これからの新しい無人店舗ではないが、それに近い店なのだ。

 

あちこちで老人の締め出しがあり、行き場を失ったわれわれの受け皿を街中に!