街中のいたるところにラーメン屋がある。全国的で、その前には昼時にはサラリーマンが並ぶ。毎日食べてもいいという人も多い。そんなにラーメンは美味しいか。わたしは当たりはずれもあって、不味いのにあたったことが多いので、月に一度食べるかどうかというようなものだ。外食はラーメンは安いからではない。いまのラーメンも普通に千円前後していて、ラーメンでも食べるかとランチの出費を抑えるというようなものではない。まだ牛丼やカレーのほうが安い。

 

息子がラーメン好きで、そのせいか孫娘たちも四歳児の孫までちゅるちゅるとそればかりだ。家でもみんなご飯も食べるが、おかずにインスタントラーメンやカップ麺だ。そんなの美味しくないだろうし、わたしは食べないが、子供らの栄養を考えたら、あまりインスタントものは食べさせたくない。それでもそれに慣らされて、中毒のようになり、毎日みんな食べているから驚く。よく飽きないで食べ続けている。他に美味しいものはいっぱいあるだろうに、同じものばかり食べているとそういう人間になってしまう。いまは多様性が叫ばれているが、社会もそうだが、食べ物もなんでも食べないと健康体にはならない。心配してくるほど、ラーメン、ラーメン、ラーメンばかりだ。病気になるのではないのかと四歳児もそれしか食べない。麺類だから、うどんも食べるしパスタも食べるが、一番がラーメンなのだ。

野菜は嫌いだと口にもしない。子供が野菜嫌いは判るが、保育園の先生からも、家でもちゃんと食べさせるようにさせてくださいと、食育指導もしている。わたしも迎えに行くと先生にそう言われた。

 

すりこみというのが動物にはある。生まれてすぐの食べ物が、そのヒナのソウルフードというか、常食のように頭にすりこまれるというのだ。動物の小さいときから小麦粉を舐めさせたら、それだけを食べるようになる。わたしも離乳食は納豆だった。わたしの子守が毎日のようにご飯に納豆をかけて味噌汁をぶっかけてあずかっていたらしい。それをおふくろが見て、これでは駄目だと辞めさせて実家に帰した。いまでも好物でご馳走と思うのが、わたしは納豆味噌汁ぶっかけご飯なのだ。まるでチャッペライスのようで、犬猫の食事のようだが、わたしはいまもってすりこまれて、それを食べたりしている。

 

孫たちもどうなのか。親がそうだから、子供までと、親の食生活の影響は大きい。わたしらがそうで、親父が刺身が嫌いなので、おかずに刺身は昔から出なかった。それだから姉とわたしは刺身が嫌いになり、いまは食べるが好んでは食べない。なければなくてもいい。いいマグロをもらっても、親父はそれを甘醤油と生姜で煮て食べていた。どうしてなのか、青森は新鮮な海の幸がいっぱいあって、飽きたのか、わが家の食卓には刺身ではなく肉がメーンになる。

 

最近のニュースを見ていたら、ラーメン屋も次第に潰れて行っているとか。人手不足が原因らしい。飲食店は給与が安く激務でそれで若い人たちは嫌がる。見ていて忙しさは判る。よくやっていると思う。 

わたしだけではないだろうが、いまは凝りに凝ったラーメンをこれでもかこれでもかと出しているのはいいが、考えすぎで、ごくごく普通の中華そばが喰いたいと思うのだ。友人と話していてそういう意見が合ったことがある。つけ麺も定着したが、わたしはたいして美味しいとも思わない。昨日も息子と近くのスーパー銭湯に行って、そこの食堂でラーメンを久しぶりに食べたが、不味くて残したかった。また外れかと、トラウマになりそうだ。日本のラーメン文化は外国人にも人気があって世界に店を出しているようだが、これからはどうなるのか。過熱すれば冷めてくる。冷めたラーメンは伸びてくる。