日本映画はどうなのか。フランス映画やイタリア映画はハッピーエンドということもなく、ラストは別れや死で終わる悲惨な結末が多いような気がする。アメリカ映画は単純で、いつもアクション映画では、正義の味方のアメリカが勝つという国策映画はあまりにもばかばかしい。世の中、そういつも勧善懲悪で、桃太郎のようには行かない。まして、ハリウッド映画の敵は時代で代わり、共産主義が悪魔になったり、イスラムがなったりと、いつもアメリカが正しい。

インド映画も見たが、ハリウッドにちなんでムンバイが以前はボンベイであったのでボリウッドというが、それも植民地統治時代の英国の将校を倒すインドの英雄が出てくると、みんな観客は拍手喝采。娯楽映画に目くじら立てることもないが、そこに芸術性はない。

 

 写真もまたそうで、わたしが前に古本屋のおやじでモデルになったことがある。同人仲間で高校の先生をしていた人が、写真部の先生で、今度、高校文化祭の全国大会に出品するというので、モデルを頼まれたのだ。脱いでヌードも想像したが、古本屋のおやじのヌードは芸術性は高いかな。そうではなく、写真部は女子高生ばかりで、五人くらいがカメラを手に古本屋の倉庫にやってきた。先生の指導で、わたしが古本の谷間に埋もれて、本を抱えて奮闘しているところを撮ったが、みんな、笑ってという。笑う? それはおかしくはないか。苦戦しているところの顔が面白いのではないのか。写真はいつも笑ってとか、ピースサインとか、決まり切ったポーズでは面白くない。

 わたしは若いときから親父からもらったニコンSで、学生時代につきあっていた女子大生とデートするに、鎌倉の明月院に連れて行って、紫陽花の中に立つ彼女を撮った。そのときは注文はつけなかった。自然でいい。笑ったらどこにも出せない写真になるから、できれば、もの思いに耽るような顔をしてもらいたい。その写真は結果はどこにも出さなかったが、水玉模様のワンピースに当時流行った髪型の失恋カットで二十歳の彼女が眉を顰めて花影にいるポーズであった。自分では四つ切りに伸ばして、しばらくは自室に飾っていたが、いい写真であったとは思う。笑うよりは、どちらかというと苦悩を秘めて西施のように顰に倣うという故事にあるように、胸の病で苦悶している眉をひそめている顔が美しいと、そのころの女性たちが真似たという話にあるように、必ずしも笑顔が美しいのではないのだ。笑っている写真は広告でもないところがある。ブランドバッグの宣伝では、外国のモデルがつんとすまして怒っているような顔を見せる。笑えば気品がなくなる。冷たさが美しいときもある。

 

 絵もそうで、暗く沈んだ絵は悪いのか。若いときの姉が描いた油絵は、しばらくわたしの部屋に気に入って飾っていたが、女の肖像画で、灰色を基調にした暗い絵、ユトリロのアブサンを飲む女の絵に似ていた。二十歳の姉は札幌の短大の美術を専攻し、後に東京の桑沢デザイン研究所に進んだが、絵の才能はあった。それが、親父が見たら、怒ったのだ。何のために、二年間も大学で絵を描かせたのか、結果がこれだと、その暗い肖像画を批判していた。親父は絵なんかまるで判らない。そういうセンスのない人だった。それが、暗い絵ばかり描いてと怒っていたのだ。親父にしてみたら、風景画でも明るく綺麗で、売り絵になるような、そういう絵が「絵」なのだ。シロウト受けのする絵は飾れば綺麗だが、果たして展覧会の審査では通るのか。

 

 それは文学にもいえる。よく、新聞で文学賞を募集しているが、テーマを見たら、明るく、未来に希望が持てるとあったら、そんな小説なんか読むかと思う。ラストが悲惨でどうしようもない小説は落選する。芸術性は関係がないのは、新聞紙上で発表するに、大方の読者は読んで嬉しくなり、幸福を感ずるのでないといけないのだ。読後感が落ち込むような内容は取り上げられない。すべてがそうではないが、大きい賞では、ラストが尻切れで、後はご想像にお任せしますと、濁すほうが文学的となったりする。みんな書かないのがいいと。それか、芥川の藪の中なのだ。読み手に考える余地も与える。

 同人誌に出す小説なら、何を書いてもいい。審査員は読者だが、少数で、何十人も読んでいない。わたしらが毎年出している小説の同人誌は百冊ぐらいしか印刷していないので、市販するものではなく、周囲の仲間たちに配るぐらいだから、読者はごくごく友達だけだ。それなら自由にどうでも書ける。明るく、正しく、美しくという小説のほうがくだらないと仲間たちに批難轟轟だろう。ピカレスクや詐欺をテーマにした小説のほうが受ける。だけど、読む人によっては、そういう悪を助長して美しく見せる小説は書くなとなる。殺人も自殺もそうで、それらの犯人がまんまと逃げるというのは許せない。そうなると、何も書けない。文科省推薦で、教育委員会推奨の青少年に害のない小説より書けない。戦争賛美もいけないし、ホロコーストもいまはいけない。書いてはならないことはないのだが、時代でいまはダメということはありうる。

 わたしは祖父母の生涯を書こうと思っていたが、らい病の施設で働いていた医療従事者であったから、そのことを書くたに、いろんな資料をノートに書きためてきた。東村山の国立ハンセン病資料館にも行って、資料をいただいてきた。それでも最近の新聞でもいまだに取り沙汰されていて、まだまだ根強い差別批判の部分もあり、おふくろは、わたしに書くなよと釘をさしている。生きている人がまだいるので、タブー視されている部分だ。そういう書いてはいけないこともまだ世の中にはあるが、笑ってとか、健康的で幸福そうな写真や絵や文学ばかりでは、逆にわたしは暗くなる。