いま、麻雀が小学生の間で、ゲーム感覚で頭をよくするというのでやらせているとか。ええ? と信じられなかったが、賭け麻雀のことが頭を過るからだ。子どもらは、そんな賭けなんかしないし、わたしが子どものときは花札で遊んだではないか。おいちょカブもした。それはそれで子どもらの遊びのひとつなのだ。四歳からやっているというから驚く。そういえば、わたしが中学生のときに、クラスの友達がうちに三人遊びにきて、親父の麻雀牌と台があったので、それで家で麻雀を教えてもらい、遊んでいたら、そこにおふくろが帰ってきて、顔を出すと、猛烈に怒った。子どもが何をしているのと、怒鳴られた。それからはやらなかった。いま、同居の息子も中学生のときに、やはり家でクラスメートを集めて麻雀をして遊んでいたら、そこに親父が来て、どれ、その切り方はおかしいと指南してくれたとか。

 

 我が家は戦前は、煎餅屋と和菓子も売っていたが、その二階で雀荘もしていた。喰うためにはなんでもした。貧しい商家であった。そのお客にお茶汲みもして手伝いをしていた、子どものときから見ていた親父は麻雀を覚えた。満州の営林署に勤めた若いときも、本場仕込みの麻雀の洗礼を受けた。それで滅法強くなる。

 わたしは、学生時代にはみんなしていた麻雀は、おふくろに叱られたトラウマからか、ずっと覚えず、やらなかった。みんな仲間たちがしているときに、傍にいて、一人本を読んでいた。大阪に就職したときも、わたしだけできないで、みんなから、自分、つきあいができんからなと、麻雀ができないと、仲間外れで、コミュニケーションが先輩ともとれない。

 その麻雀を教えてもらったのが、二代目経営者として、青森の親父の仕事を手伝うに帰ってきたとき、仕事のストレスからパニック障害になり、精神科の医者に運動をしなさい、真面目に詰めないで遊びなさいと言われた。それで会社のつきあいもあるからと、二代目は麻雀とゴルフくらいはできないとと、会社の先輩から麻雀とゴルフを教えてもらい、それが27歳のときだから晩生だった。

 それから授業料もだいぶ払ったが、親父の代理で、取引銀行の親睦会の二つの麻雀大会が毎月あって、市内の社長さんたちが集うのに出た。そこは大会なので、一等は小型家電とか、商品をいろいろと用意していた。保険会社主催の大会にも出た。うちの会社の団体保険を請け負っていたところで、市内の会社から百人以上は来ていたか。そのときは、わたしは調子よく、優勝してしまった。商品は大きな電気炬燵で、家まで抱えて帰った。何度か優勝したことがあるが、自分では強いとかうまいとか思わない。わが道を行くで、人のいらないハジ牌ばかり狙って、純チャンが好きで、それがよく入る。負ければ大きいし、勝てば大きい。そんな麻雀ばかりしてきた。

 

 最近は、老人の間でも麻雀は流行っているのだとか。前にいきがいセンターみたいなところに行ったら、麻雀部屋があり、そこにおじいさんおばあさんたちが卓を囲んで、賑やかに話してやられていた。麻雀は認知予防にいいとか。それと仲間ができて、孤立しない。会話ができる。子どももいいが、高齢者もいいという。

 わたしは仕事が忙しくなると、麻雀もしていられない。ずっとしなかった。青森市内にいっぱいあった雀荘はあちこち潰れて、一時は下火になった。仲間たちとたまに会っても、随分と麻雀はしていないなと、そう言っていたくらいだ。それがまた復活するように、麻雀ブームが再燃してきた。

 昨年の暮れに、叔父の葬式で青森に帰ったときに、講演会もあって顔を出したら、昔よく麻雀をしたデパートの社長も来ていた。彼とその後飲んだが、そのときも、わたしの書いた親父の評伝の本の中にあった、彼との麻雀のことを話していた。半荘四回やって、わたしは箱テンになった。ひとりボロ負けだった。それでも諦めないで、どうすると聴かれて、もう半荘だけと五回目で負けをすべて取り返した。それを社長は感心して、記憶にとどめておこうと言ったのを忘れていた。覚えていないという。うちの家業が倒産寸前のときだったから、諦めない、最後まで戦うということを麻雀で言いたかった。

 

 いまも麻雀は実戦では卓を囲んだことがないくらいやっていないが、スマホの機械相手の麻雀ゲームはしている。暇があれば、やっているが、ネット対戦などはしたことがない。相手がコンピュータだからつまらないが、それでも頭は使うから、ボケ防止なのだ。それと、今日の運はどうかと、朝一の麻雀ゲームで運勢占いみたいにする。役満もたまにやる。大三元はよくやるが、四暗刻もやりやすい。先日は珍しく緑一色をやったが、狙ったのではなく、やっているうちに役満と出たから、驚いた。何が?と自分の手を改めて見たくらいだ。

 麻雀の無料アプリはいろいろと出ている。広告はうるさいが、老後の暇つぶしにはいい。勝ち進んで累計で、雀帝とか雀聖とか、位が上がってくる。わたしは上まで行ったが、それも公開していないので、自己満足だ。

 

 麻雀のいいところは、死ぬことだ。いつも勝つということはなく、死ぬことも覚える。それは商売にも通ずる。いろんな場面で人生訓みたいなこともある。単なる遊びではなく奥が深い。親父は、麻雀仲間が死んだとき、寺の本堂に雀卓をいくつも置いて、仲間たちと追悼麻雀をしたというくらい好きだった。ボケてからはしなくなったが、頭の訓練はしておかないといけない。