いとこ会というLINEの連絡網では、昨日は目について会話が飛び交う。千葉市川の従兄が白内障の手術をしたら、メガネがいらないくらい視力が出てよかったという。それに東京の姉から、やはり白内障で目の手術をしたが、いまはメガネがなくても新聞でもなんでも読めると言ってきた。従弟もそれに入ってきて、自分も白内障の手術をしたばかりと、みんな七十過ぎて、そろそろあちこちいかれる。わたしも緑内障で、眼科には三か月に一度だが通い、毎晩、眼圧を下げる点眼薬をつけている。年とともに目・歯・MARAが悪くなる。昔から言うことで、誰でも機能低下はしてくるのだ。それを遅らせるために、いろいろと食べ物も考えて、運動と療法をネットで見てやっている。努力しないと、若さは維持できない。

 

 年寄りは仲間内でもそうだが、寄れば集まれば、病気の話、医者の話、薬の話だ。それで老人たちは盛り上がる。

 というのも、自分の周辺が次々にご他界するからだ。同じような年でバタバタと斃れるのはあまり気持ちがいいものではない。芸能人でもわたしより年下で、最近は次々に亡くなり、なんだか、次は自分の番かと思わせられる。親戚友人でもそうで、七十歳の壁から八十歳の壁と、長生きするためにはいくつものハードルを越えなければならない。それをおふくろは里程標と言っていた。山でいえば何合目という標識で、ようやくここまで来たかと、次の目標は八十歳だというようなものだ。それを越えられないのは、普段からの生活がある。いまの若い人とひとくくりにはできないが、うちの同居の息子を見ていたら、いつも大丈夫かと案ずる。いまは宅配の仕事をしているが、どうも膝と足を痛めて、それで次の仕事をまた探している。かなりハードで、重い荷物を持って、一日何万歩も歩く。いままでは車ばかり使っていて、歩くことをしていないし、まして、運動不足で、体を動かしていない、ずっと内勤で事務職だったので、力仕事や筋トレになるような仕事ではなかった。それでぶくぶくと太って、体重はわたしより多い。肥満になり、それが膝と足にきた。いまは整形外科に通院して、膝の皿がひびが入ったのか、固定するためのギブスをはめて配達するのは辛い。肉離れも起こして、痛がっている。この配達の仕事をしてひと月で体を壊した。若い人でないとできないと息子は言うが、結構な年でも運送はしている。人によるのだ。わたしのほうがまだ普段から鍛えているので、息子よりは馬力も脚力もありそうだ。何か不健康なのは、朝飯は食べない、昼飯は弁当詰めて持ってゆくが。晩飯は外食か。水分補給はコカコーラばかり。ジャンクフードと外食とコーラでは栄養状態も悪くなる。それで足もそうだが、何か痒くて掻いたという跡で、足全体に血豆の跡のようなものがいっぱいある。すぐ疲れるのも問題だ。ビタミンとミネラルのサプリも飲めとやるがそういうのが嫌いなようで、飲まないので、栄養ドリンクだけはフゥイト一発と毎朝飲ませている。息子の健康状態が心配だ。

 

 若い人はわたしもそうだったが、健康なんか考えない。大病を患って、始めて、生身の体を意識する。それまでは、健康診断もしないし、サプリなんか年寄りの飲むものと飲まない。わたしもそうだったから、いまの息子の気持ちはよく分かる。年齢的に忙しすぎてそれどころではない。上の兄二人もそうで、いつも顔色が悪く、生活習慣病そのままという感じで、タバコと酒ばかり。それと仕事のストレス。四十過ぎて、そろそろあちこち悲鳴を上げてくる。わたしがそうだった。前立腺肥大は五十過ぎたらおしっこの出が悪くなる。歯なんか歯医者ばかりに通い、自分の歯は数えたら14本よりなく半分以下で、部分入れ歯と差し歯だ。眼科に通うのも高齢になってからだ。毎朝夕、血圧計で測り、手帳に記入、それを月一の内科診察のとき宿題のように提出する。糖尿病ではないが、予備軍で、薬は飲んでいる。10年以上前の五十代のときは、血圧は高く、上が180で下が120くらいあった。具合が悪くなり眩暈もした。それを放置してはいけない。内科に通うことになる。県立病院に成人病の教育入院と二週間のお泊り。上から下まで全部調べられて、毎日二回の講習で洗脳もさせられた。青森県は短命県日本一の栄誉。早死にしたかったら青森県へどうぞ。それで改善のために取り組んでいる。

 

 今度、ペンの総会が四月二十日にあるから、そのときはおふくろの顔も見たいし墓参りもして、久しぶりに仲間と酒も飲みたいと青森に帰るのだが、そのときは、また、仲間の誰だれが死んだという話ばかり聞かされる。われわれの年になると四人に一人は亡くなる。友達四人いれば一人は死んでいる。次は誰かと不健康な人からではない。わたしのように、万全の構えで老後に望んでいる者が、ぽっくりと突然死ぬ。それは誰にも判らない。不摂生をしているから死ぬわけではない。うちの祖父と親父は死ぬまでタバコは飲んでいたし酒も晩酌。わたしは健康のためというわけではないが、自然とどちらもやめた。酒はつきあいだけ。それも飲んでいないと弱くなり、ビールなら一本、ウイスキーはダブルで二杯くらいか。親父の年まで生きるには後20年は生きないと。

 

 今度一年ぶりでみんなの顔を見て、また老けたなと互いに笑うのだろうが、文学仲間たちも、出てこなければ寝た切り会員とか。浦島太郎のように玉手箱を開けた顔を楽しみに見たい。それも年年に少なくなってくるのが寂しい。