三月いっぱいで、駅ビルのラスカにある書店が閉店するとあった。平塚市には文具も売っている小さな本屋とは呼べないものは何店かあるが、ネットで見たらちゃんとした本屋は2店よりない。古本屋はゼロ。一度、ネットで調べて、山下のほうに古本屋があるとあったので、行ってみたら、団地で、それはどこかの部屋で通販だけでやられているので、中は見られない。店舗はありませんと書いていたらよかった。人口26万の平塚市でも、本屋が残り2店で古本屋がない。息子は、その街の民度の問題だといった。昔は古本屋の数で、その土地の文化のバロメーターが判ると言われていたが、いまは、全世界同じで、どこの国も、どこの街もそうしたら民度が低くなったというのか。活字ではなく、電子書籍のように媒体が紙の本ではなくなったからだと言うが、そうではない。電子でも小説は読まれなくなる。

 ただ、若い子たちは、ケータイ小説から、いまもボーイズラブのやおい小説と言われていたものの延長だろうか、ラブロマンスものの小説は売れているようなのだ。男の子よりは女の子たちが本を読むのは昔からで、うちの姉妹もそうだった。文学少女はいるが、文学青年はどこに行った?

 

 先日は藤沢に散歩と買い物に行ったが、そのとき、藤沢駅北口の銀座通りに入るところに古本屋を発見した。太虚堂書店さんという看板には創業昭和24年と書かれていた。戦後だが、老舗には違いない。いまも立派にやられているので、たいしたものだ。その店頭から店内を覗いてゆく。いまは本はもう買わないのは、そろそろ整理をしないといけないからだが、どんな本があるのか、見たら買いたくなる。古本屋時代にはセドリをしたが、それは商売で、又売りするのだが、いまもその癖が職業病の後遺症で残っているのか、つい手が伸びる。

 辻堂駅南口にもつじ堂という古本屋さんがあり、わたしはそこを通るときはきっと寄っていって、何冊か買う。おばあちゃんが一人店番していて、昔ながらの古本屋さんという感じが好きなのだ。ただ、みなさん、上手に商売されていて、抜けてはいないので、いい値段はつけている。値段を見たら、古本屋さんの眼力が判る。

 

 なにか、新刊書店がなくなり、古本屋がなくなると寂しいものがある。わたしもあればふらりと入るのは、昔からの癖で、ショッピングセンターに家族で行ったときも、パパがいないというと、本屋さんに行ったらいるよとママが教えてくれるようなもので、子供らが小さいときは、本バカとっちゃと呼ばれていた。それは元妻がそう呼んでいたので、子供らが真似たのだ。

 

 先日は、旅行のガイドブックを求めに久しぶりに平塚駅西口のブックオフに行った。あまりガイドブックは古くても役に立たないが、三年くらい前のなら使える。それで、旅行の棚を探したが、香港マカオが一冊だけ見つけて買った。図書館でもありったけのその辺の紀行などを借りて読んだが、事前下調べはいつもする。新刊は高いので、またネットでアマゾンから地球の歩き方の上海を200円で見つけて注文した。四年前の本だが、まだ使える。送料は300円かかった。それでも新刊の四分の一だ。どうせ一週間しか使わないし、わたしの場合は不必要なところをビリビリに破って、地図と観光地、歴史のところだけ残すので、グルメやショッピング、アミューズメントのページは破り捨てる。そうしてぺらぺらの紙一枚だけ持ち歩く。ガイドブックを手に歩けば、さも旅行者ですと周囲に教えて、悪い客引きや押し売りがつきまとうのが嫌なのだ。それだから、新刊はいらないのだ。

 そういうふうに、ブックオフで買ったり、アマゾンの中古本をわたしも買うので、ますます新刊書店は利用しなくなる。新刊が売れないと、古本屋にも本が入ってこなくなり、本そのものの流通が止まる。それだから、出版社と新刊書店と古本屋は一蓮托生なのだ。いま、その業界が全滅に近い。

 なんとかしないとと、みんなが案を出す。息子も本は読まないが、イヤホンで何か聞いている。本はいまや耳で聞くのだとか。暇なときにいろんな経営や運輸関係の本を耳で聞いているのだ。そうか、目ではないのか。名作のカセットやCDもいまもあるが、耳学問も悪くはない。だけど、活字はそうすれば確実に忘れてくる。そのうち日本語は話せて聞けるが、読めない書けない日本人が増殖して、読み書きそろばんもできないで、どうなるものか日本人。