もうモノはいらなかった。と言いながら、図書館の除籍本だけは勿体ないとせっせと自室に運んでいるが、それは古本屋時代からの職業病の後遺症なのだ。それとて、誰かがまとめて欲しいといえば、四千冊の引取り手があれば、もちろん無料で全部喜んで差し上げたい。そのうち、わたしはこの部屋を出てゆくから、またいまのうちに身辺整理はしておかないといけない。

 そういう気持ちにさせたのが3.11の大震災があったからだ。一瞬にして、家も家財もすべてが津波に吞まれたり、火事で焼けたり、家ごと押しつぶされる。それは明日かもしれないし、誰にも判らない、突然の災害なのだ。能登の大地震の被害を見ても、明日はわが身なのだ。

 

 気仙沼の知り合いの古本屋さんは、3.11のとき店ごと津波で流されて、店番をしていた行方不明の奥様が、ひと月してから、瓦礫の下から発見された。われわれ東北の古本屋たちは、義援金とお見舞いを個人的にして、青森県古書組合としても被災した古本屋さんの復興に使ってもらいたいと、送った。気仙沼の彼は住むところもなくなり、北関東のある街にこぞって避難生活を強いられ、そこでまた古本屋の仕事を続けた。いまはどうされているのだろうか。気仙沼には三年前に復興した姿を見に旅行した。福島の双葉町から、三陸の宮古まで、福島宮城岩手と海沿いを旅して、いまだ復興途上の何もない街の跡を見た。

 

 あのときから、わたしは断捨離をし、すべてコンパクトに収納した。音楽やビデオテープ、DVDにCDロムといったメディアに入れていた動画や画像、音楽アルバムなどはすべてマイクロSDカードに保存し直す。小さなケースにみんな入った。ついで、スキャンしたノートや原稿用紙、新聞の切り抜きなど、わたしが発表した創作はすべてデータにして、それも小さな32GのSDカード一枚に収まる。親父の残した我が家のアルバム200冊も写真保存のスキャナで二か月かけて8GのSDカード一枚に保存した。そうしたら、膨大な思い出や記録がすべて手のひらに収まるケースに入った。

 それで東京に引っ越して、千葉や平塚に越しても、引っ越しに荷物は宅配便ぐらいでも間に合う。荷物は極力減らした。

 

 どこにいても地震から安全というところはない。いまも、関東にはいつ来るか判らないと警告されている。最近はまた千葉などで怪しい地震が続いている。ここ平塚も関東大震災のときは10メートル近くの津波が来た。鎌倉の別荘に暮らしていた文学者の厨川白村はその津波で亡くなる。あのときの震源地は平塚沖だった。ただ、震度からいうと、何も震源地の近くが一番大きいというわけでもなく、そこから離れた東京と横浜がひどくやられた。

 南海トラフもぎりぎり伊豆半島と相模湾までかかり、それが太平洋プレートで、茨城と千葉と連動しての大地震が来ると、二つの津波が平塚にも押し寄せる。

 わたしがここに住むと不動産屋からハザードマップも見せてもらったときは、海から2キロはあるし、川からも少しあるので、津波の影響はないと書かれていた。山も遠く、崖崩れもない。ただ、断層の亀裂が走れば、どんな建物も壊れる。富士山もよく見えているが、噴火すれば、火山弾は飛んでこないが、風向きでは火山灰はかなり降る。津波も平坦な平塚では、内陸まで来るだろう。三陸では海から離れているからと安心していた2キロも内陸の家が流された。だから安心してはいられない。今度は引っ越して渋田川までそんなに離れていにないところで暮らしている。川は津波が遡上してくる。石巻の小学校はまさかの津波で多くの児童が犠牲になった。わたしの住むマンションは三階建てだから、屋上もないし、上に上がっても10メートルの津波ではやられる。近所に高いビルはない、向かいに中原小学校があるが、それも三階だから、上に上がっても助からないかもしれない。仲間のおばさんたちもその話をしていて、いつも津波が来たら、高い建物と、五階建ての団地の屋上に逃げる予定を立てているらしい。

 

 わたしは、そのときのために防災バッグは用意してある。完全防水で、オレンジ色の派手な発見されやすい色で、中にモノを入れて抱けば浮袋にもなる。中には、携帯ラジオ、小さな寝袋、二人用のコンパクトテント、懐中電灯、傷薬など。寒さ除けのポンチョ、ソーラー充電器、通帳にパスポート、記録されたSDカードケース、ライターに非常時用コッヘル、そうしたものが入っていて、水と食料があれば生き延びられる最低必要な生活用具を入れている。人間が生きるにそれだけあればいい。いざというときは、そのバッグを持って、息子と逃げる。孫たちは母親のところだから、なんとかするだろう。向こうは向こうで、そういう防災バッグを用意していたらいい。

 てんでんこで逃げるので、家族のことも考えて遅れるとみんな犠牲になる。それだから、我れ先に逃げるのだ。そのためには、バックパッカーで長期の旅行をするような恰好と荷物だ。スーツケースなんか引っ張って逃げられない。背中のリュックがいい。それもやたらとあれもこれもで重くならないように、軽く、小さく嵩張らないものばかり用意した。キャンプもできるから、一度予行演習で、孫たちも連れて近くの山で一泊ぐらいしてみたい。

 最近はまた心配なので、ワンタッチテントの安いものを買った。薄くて軽く小さいものだ。三人が寝られるので、五人家族なら全員が二つのテントで避難生活はできるのだ。津波が来ると車も家もすべてが流されて、家電もスマホもパソコンもみんな電気が使えず役立たず。

 

 そうしたミニマリストになってからは、最低必要なものしかいらなくなる。とりあえず、逃げるところは歩いて1時間の湘南平という標高は150mよりないが、そこなら安全だろう。その上でじっと何か月か暮らすよりない。そういう避難計画を立てて、いつ何が起こってもいいように、心構えだけはしておきたい。