みんな給与が上がらず、物価が上がり生活は楽ではないと言うのだが、そのくせ、先日でも平塚のショッピングセンターにオープンしたコーヒーショップにはいつも並んでいる。わたしは名古屋で暮らしていたときは、よく入ったが、いまは入らない。コーヒーが460円から700円とスタバやドトールよりも高い。わたしのようなコーヒー好きでも、マックやコンビニの120円コーヒーでも美味しいとそこでは毎日飲んでいるが、その店は内装もあまり好きではないゴージャスな雰囲気を売りにしているようだが、好みではないので入らない。そこに女子高生たちが並んでいる。コーヒーではないにしてもメニューを見たら、500円以下では食べられない。結構、あちこちで高校生たちが出入りしている飲食店も見るが、食べているものはパフェとか、700円ぐらいのを平気で食べている。どれだけ小遣いをもらっているのか。うちの孫娘たちもそうだが、小遣いはもらっているのに、使い果たして、その都度、親に手を出している。親もまた友達と行くからというと、一人行けないと可哀想だと千円くれる。そういう生活をさせているから、子供から乱費で、湯水のように金は出てくるものと思う。わたしが親のときは、月に決めていた小遣い以外はやらなかったが、それでも祖父母と同居していたので、臨時収入はあったようだ。祖父母は甘い。わたしはケチではないが、教育としつけのためにやらないのだ。孫娘たちにお年玉はやったが、誕生日とか、そういう特別の日にあげるのはいい。

 

 新しくできたレストランにも並んで入っているが、まずはメニューを見る。ランチで千円以上はわたしの年金生活では払えない。それが普通に千円どころか二千円以上している。それもたいしたことのない全国チェーンの洋菓子屋のレストランだ。見たら、ありきたりのハンバーグランチとかカレーとか、食べたいとも思わないし、どこにでもあるものばかり。奥さんたちが女子会のようにこぞってグループで入って、そういう二千円三千円のランチを平気で食べている。旦那の給与がいいからか。

 

 通販にしても、軒並み高い。食べ物なのだが、モノはいいものかもしれないが、ウナギが一人前二千円以上している。店で食べるのと変わらない。それもウナギの一人前パックだから、スーパーで買っても長いのは二千円以下で売っているし、それは二人前だ。梅干しもいいものかもしれないが、何個入っているのか。計算したら、一個が二百円以下だが、たったひとつの梅干しでそれだから、おいそれと買えない。それでも買う人がいるから、いつも新聞に広告を出ている。通販はなんでもそうで、スーパーで買う値段より高いのが解せない。産地偽装もあるから、中国製でないという保証はない。食べてみたら、なんだ、あまり変わらないとなれば、ふっかけられたようなものだ。

 

 平塚にもアウトレットモールができたが、二度しか行っていない。一度はできてすぐに、運動のために歩いて行った。片道15キロはあったろうか。厚木に近いところにある。二度目は息子と孫と車で行ったが、息子もブランドものにはあまり興味がなく、それより金がないので、フードコートで昼飯だけ食べて遊ばせて帰ってきた。わたしは全国のあちこちのアウトレットモールには通りかかると寄って行ったが、アウトレットとは名ばかり、本来の意味はなく、その看板を出せば安いと錯覚させる。何もアウトレットではないし、ブランドもののセールばかりで、見るだけ。欲しいとも思わない。それでもみんなどっさりと両手に余るくらい紙バッグを持って買い物している。消費欲求もすごいが、金があるのだと、あるところにはある、これが格差社会かと思うのだ。外国人かもしれない。中国人の爆買いはいまも続いているのか。わたしが南青山のマンションに勤めていたときは、その前の通りはずらりと高級ブディックやブランドショップが並んでいて、中国人だけではないが、外国人観光客が、ぞろぞろと歩いて買い物もすごかった。見たら、バッグで何十万何百万としている。着るものも値段がひと桁多い。わたしのような貧乏人はとても買えないし、別世界の話のようだが、羨ましいとは思わない。

 

 テレビでグルメ番組をちらりと見ていると、安いものなら別だが、高いものばかり。夏のかき氷で二千円とかしていて、それが並んで食べている。ランチもホテルがすごい。五千円以上している。息子が昨年の大晦日に品川のホテルのランチバイキングを予約していて、わたしも一度だけ前に食べたことがあるが、一人六千円でわたしが出した。息子に言わせたら、前はよかったが、いまは中身が落ちたと怒っていた。わたしもそう思う。それだけの価値はない。食材も値上げしたから、内容で落としたか。そんなもので、それでも美味しいと雰囲気と値段で並ぶ有様は、みんな味音痴なのかと思う。

 

 最近では外国人観光客狙いの高額な店が増えた。それはとても円安の不景気な日本人の入る店ではない。築地なんかそうで、海鮮丼が五千円とか、近江牛の串一本で三千円とか、どんなセレブが食べるのか。いまだけ儲けようとする気持ちでやられていれば、インバウンドが突然終了して、外人が来なくなると、そういう店はわれわれが行かないので潰れる。目先の利益ばかり追っているとそうなる。

 高級食パンブームも何年もしないで終わる。わたしもいいのか、こういう単品屋でやってゆけるのかと危惧していた。平塚にもあちこちに雨後の竹の子のように起業してやられる店ができた。講習会を受けるだけで、別にパン屋で修行することもなく、シロウトでもすぐにできる店は長続きしない。一斤550円から800円。スーパーで買うものとどこが味が違うのか。四倍も五倍もして、毎日食べる値段ではない。わたしも仲間に連れられて一度だけつきあいとお試しで買ってみたが、おばさんたちも、これは孫には食べさせられないわねと話していた。まもなく、そういう高級食パンの店は軒並み閉店した。

 別のパン屋では何品も作っていないで、クロワッサンが300円くらいしていた。確かにそれは本物のバターを使って、スーパーとは違う味なのは判るが、それは朝食だろう。一日二個食べたら、家族三人でパンだけで二千円ぐらいかかる。毎日は食べられない。最初は並んでいたが、二か月もしないで閉店していた。

 いまはラーメンブームはまだ続いているが、ラーメン屋もできすぎ。それに高くなり、たかがラーメンで千円以上はざらだ。それでも行列ができているが、それもそのうち頭打ちになり、衰退してゆくのだ。

 

 庶民を相手にしない店は潰れる。みんなの懐具合も考えない商売はなくなる。そのときだけで、スイーツもタピオカドリンクも単品勝負は飽きられたら終わり。特に女子供を相手にする商売は危険だ。浮気はされるし、飽きられやすい。ずっと長く続く商売はもっと地味なもので先を見通した堅実なものではないのか。