昨年末に、青森から、一人になって寂しい母親が、子供たちの傍にいたいと、青森から平塚に越してきた。わたしは顔は見たくないので、いまだに会ってはいないが、孫たちは喜んだ。四歳児は、どうしてパパとママは離れているのと、離婚した意味が判らないから、パパは、そのうち大きくなったら判るからと教えている。思えば、そのパパが五歳のときだから、いまの孫に近い園児のときに、わたしは女房と離婚した。あのときも、話して聴かせてもきっと判らないから、同じように、大きくなったら判るからと言っただろうか。兄貴はもう小学五年生だから、判っていて、三男がママはどこにいるのと聴いたら、「もう、ママのことは聴くな」と、小声で叱っていた。わたしは、ママはね、公園にテント張って、キャンプしているんだよと、冗談でそう話した。

 時代は一巡する。まさかの離婚劇。去年の七月には青森に帰って、息子の家に泊まり、孫たちと遊んだばかりに、それからまもなく、息子からトラブルが発生して離婚という話を聴いて、どうしたらいいかと相談を持ちかけられた。家も売らないといけなくなったと。それでは住むところもないと困るから、平塚に来るのもひとつの選択だと、片親になるから孫の面倒を見るのはわたしよりいない。それでそういう運びになり、8月に賃貸物件を探して、息子も初めて平塚に来ると、不動産屋で契約したのが8月のお盆過ぎだ。月末には引っ越してきて、わたしのワンルームもトラックのレンタカーを借りて息子とその前に引っ越した。あれから、半年以上がもう経った。孫娘二人は青森の中学から転校して、平塚の中学に通い、もう友達も連れてくる。四歳児は一時待機児童で、保育園が満員であったのが、ひと月の間は一時保育に連れていって、それから秋にいまの保育園が決まって、送り迎えしている。息子は大阪の会社の青森営業所に勤務していたが、それが厚木の営業所に転勤させてもらった。

 青森の家は築13年で、まだ十分住めるのだが、いまもって不動産屋に出しているが、なかなか売れない。母親の姉も独身で同居していたが、姉妹で家を出て、姉の勤めているところの社宅みたいな部屋に二人一緒に移り住んだ。

 それで一件落着ではなかった。それからがいろいろとありすぎて、四歳児はなんとか面倒はみれるが、孫娘二人は余していた。どうにもならない。そのことをブログで書いたので、じじが一人苦労していると知って、母親が平塚に引っ越して来ることになった。それまでは三度、青森から母親は子供らに会いにやってきた。突然のことだが、一家離散して、家も仕事もなくした。孫たちの戸惑いもあるだろう。可哀想には思うが、わたしも大変だ。面倒は見切れない。それで傍に母親が来てくれたら息子も助かると言っていたが、この先、どうなるか判らないが、母親も仕事は首にはなったが、同じような仕事をテレワークで引き受けてフリーランスで稼いでいる。それだからパソコンがあればどこでも仕事はできる。とりあえず、うちから歩いて10分くらいのところにマンスリーレオパレスを借りた。家具家電付きなので、ワンルームだが、そこにいつでも青森には戻れるようにと、やってきた。

 

 それからだ。孫たちはいままでパパとじじの作った弁当も食べないし、食事いっさいを受け付けなかったのが、ママの味がいいと、弁当も学校の途中に寄ってもってゆき、晩飯は三人で毎夕食べにママのところに行く。寝るために帰ってくる。そのうち、下の娘はママのところがいいと、ずっとそこで暮らすようになり、学校もそっちが近いし、飯も口に合うのか、私物も持って行ってと、近頃は顔も見ていない。四歳児もいままではパパとじじに川の字のように挟まって一緒に寝ていたのが、ママがいいと、ママに会いたいと泣くようになり、それではと、いまはママのところで寝ている。パパは朝、車で出勤前にママのところに寄って、四歳児を保育園に送ってゆく。わたしは夕方、保育園にママチャリで迎えに行って、うちで2時間くらいは一緒に遊んでやる。それから孫娘とママのところに行って晩飯と泊まりで帰ってこない。上の娘だけがパパのところが自分の家だと思っているようで、戻ってくる。そこから塾にも自転車で夜に通っている。いまのところは、上の娘と息子とわたしの三人が暮らしている。ママのところには孫二人が一緒に暮らしていて、二つに分かれた。

 それでわたしの仕事は格段に楽になる。朝の保育園への送りがなくなり、飯支度も半分でよく、炊飯器も二つあったのが、ひとつで足りて、洗濯物も毎日二回が一回で済む。掃除もゴミも少なくなる。食費もいままでの半分でいい。生活費はわたしが援助していて、いままでは赤字の持ち出しであった。それが、ようやく年金とバイト代で足りるようになる。

 

 四歳児は最初は保育園の先生も言っていたが、情緒不安定になり、時折、泣いたりしていたと。それが最近は慣れたか、泣かなくなったという。ただ、給食は余すようになり、また好き嫌いが出てきたという。それはママの家でまた好きにさせているからだろうと話す。先生には家庭の事情も説明していた。面談もあって、そのときに話した。二つの家を行ったり来たりしていると、そのことを先生の前で話したら、四歳児が口を挟む。「パパの家とママの家と二つあるんだよ」と、小さいから、二つの家がどうしてあるのか、それを行ったり来たりしないといけないのはどうしてと、そう思うだろう。わたしにも、どうしてパパとママとお姉ちゃんとじじとみんな一緒に暮らさないのと、そう言ってくる。それはな、もう少し大きくなったら判るからと、いまは、二つの家の意味が不思議なのだ。親の都合でというが、いつも子供らが犠牲になる。それをなんとか埋めてゆきたいと思っても、じじはパパにもなれないし、ママにもなれない。泣いても埋められないのがかなしい。

 

 この春に、共同親権の法案が成立すれば、離婚した親も、子供をどっちがとるかではなく、二人で養育することになる。養育費を払わない父親もいるし、シングルマザーで苦労する母親もいる。それをなくするために、親の身勝手で離婚したのだから、二人して責任をもって子育てはしろというのはいい。そこにじじも入って、手助けはするが、一日二時間がいいところだ。それ以上の孫育てでは、寿命が縮まるという報告もある。孫育てのストレスから早死にだけはしたくない。