世代間のギャップというのは仕方がない。育った時代が違う。教えられたことも違う。昭和と平成、令和とまた違う。それを揶揄したドラマが「不適切にもほどがある」だが、まだテレビで見たことがない。面白そうだが、どうなのだろうか。

 いま、息子と孫たちと暮らして、腹だたしいこともあるが、息子に言わせたら、それがいまはあたりまえという。ひとつには風呂だ。孫娘は毎日のように入る。風呂なんか三日に一度でいいと思うのは昭和のわたし。夏で汗をかいていたときならシャワーは毎日だが、水道代とガス代がもったいないと思うのだ。息子に言われて、ネットで風呂の回数を調べたら、やはり大方の若者たちは毎日のようなのだ。前に朝シャンと言っていたときがあり、若者たちが毎朝洗面所で髪をシャンプーで洗うことについて、昭和から批判が出ていた。あまり洗うと禿げる、とか、髪を逆に傷めるとか、そういう話も出てきた。洋服も洗濯毎日なら傷む。体の油脂も保護のためにあって、荒ってばかりでいれば、逆にばい菌が入るだろうと心配する親たち。

 その洗濯だが、息子も一度着たポロシャツやズボンでもすぐに洗濯機に入れる。孫娘たちはカーディガンや上下の毛糸の寝巻も洗濯にすぐに出す。それで毎日洗濯は二回なのだ。外は荒れていたら、部屋干しになるが、干すところがなくなるくらい。それで、係のわたしは文句をいう。そんな一度着たくらいで洗濯するなよ。生地が傷む。それと水道代と洗剤がもったいない。洗剤も次々に買ってきてもすぐになくなる。それを言ってもなんのことかと判らない。

 洗剤というと、食器洗剤の減りも激しい。わたしが洗う係なのだが、たまに息子も洗う。どんな洗い方をしているのか見てみたい。前にちらりと見たら食器にそのまま洗剤をかけていた。なんということをする。

 トイレットペーパーの減りもすごい。この前買ったばかりではないのかと思うのに、12ロールがすぐになくなる。それもどういう使い方をしているものか。がらがらと長く出して、きっとわたしの使う長さの何倍も使っているのだろう。ダブルとシングルがあるが、ダブルからシングルに変えた。そうしたら減りは少なくなるような気がして。ところがそうではなかった。ネットで調べたら、やはり使用量を測ったのか、結果は変わらないということらしい。

 

 国によっては、厳しいところもある。裕福な日本だから、紙も水も使い放題のようにしているが、わたしが旅行した東欧の最貧国では、公共トイレは有料だが、それでもトイレットペーパーは置いていなくて、入口でトイレおじさんに使用料を20円くらい払うのだが、そのとき、なんとたった30センチだけトイレツトペーパーを切って手渡すのだ。それでうんこを拭けというのか。紙も大事な国ではそうなる。インドや東南アジアでは、紙なんかない。手動ウォシュレットで、それも桶に水とコップやひしゃくがあり、それですましたら、後ろからお尻に流して左手の指で拭いてやる。乾燥しているからすぐに乾く。慣れたらどうということもなく快適だった。

 ユースホステルで晩飯を作り、使用後の食器をざぶざぶと洗っていたら、ホステルのオーナーが飛んできて、そんな洗い方はよくない、水は大事、エコだと片言で叱られた。それで洗い桶に溜めた水だけで洗ってくれた。蛇口から流したままにはしない。

 

 昔の中国でもそうで、確かパール・バックの『大地』を読んだとき、手桶一杯の水だけで、歯も磨き、髭も剃り、髪と顔を洗い、体も洗う。水は貴重なもので、井戸は遠く、汲んでくるのに時間と労力もかかる。蛇口をひねると出るという国ではなかった時代だ。

 電気もそうなると、いつでもスイッチをつけたら使えるというのではなく、かつて3.11のときの計画停電のときのように、東欧でも時間で停電していた。ワイファイも使えない時間帯があった。イザヤ・ベンダサンが安全と水はただだと思っている日本人のことを本で書いた。

 それがいまの子供たちで、あたりまえで、何を怒っているのと、じじがうるさいので嫌われる。息子もそうだから、親子二代は同じなのだ。

 わたしはいまの能登の生活を見ろとテレビに映し出された生活を見せる。明日はわが身だからな、南海トラフの大震災が来て、関東一帯も水道ガス電気が止まり、ネットからケータイも使えない生活が何か月も続く。風呂なんか、ひと月どころか何か月も入れない。配給された水で家族みんなで使わないといけない。トイレもそうしたら紙で拭けない。3.11のときはトイレットペーパーもスーパーから買いだめで消えた。あのときも停電で、台所は使えず、ネットも、通信もダメ、テレビも映らず、一体、何が起こっているのか情報の断絶していた不安な日々を送っていた。

 いまの生活があたりまえだと思うなよ。そういう災害になると、いまの若者子供はどうするのか。湯水のように流しっぱなしで、使い捨て文化、食べ物も食べ残し、好き放題。それができなくなると、生きるためになんでも食べるのだろうか。フードロスも減るかもしれない。水不足と飢饉、災害になると、いままでの贅沢が判る。サバイバーを目指すわたしは、そういう生存のための知恵を身につけて、またそういう本や情報を入れている。いざというときの防災バッグにはそういう最低必要なものばかり詰めていて、息子に、大地震のときは、テントにシュラフにソーラー充電器、ひと月は生き延びるための用具はあるから、それでキャンプ避難生活をしようと話している。学校でもそういう体験学習を子供たちにさせたらいい。

 地震は必ず来る。そういうときは長老の話を聴いたらいい。人生経験で、何度も震災の経験をしてきて、何をしたらいいのか教えてくれる。3.11のときは、おふくろが停電で暗くなったときに、サラダ油の漉し器から皿にとり、ティッシュのこよりを芯にして明かりをともして、明るい夜を過ごせた。それが戦前の戦争体験者の知恵だった。ないときはないなりに暮らしてゆける。便利に慣れすぎた子供たちに不便生活も勉強にはなるだろう。