節分っていつなのだ? と、その日にちも判らない。2月の初めのようなとは、2日か3日か、と、ネットで見たら3日の土曜日とあった。そうなのか。それは子供のいる家庭では、豆まきもやるだろうが、しばらく一人生活が長く、そういう日本の行事なんかどうでもよかった。が、孫たちと一緒に暮らすようになり、保育園にいつものように夕方に自転車で迎えに行ったら、保育園の玄関に何かの葉とメザシ三匹が飾っている。それは聴いたことはあるが、実際に見たのは初めて。節分にそうする習慣は青森にはない。どちらかというと関西からの伝播で、いまは関東でもやるところが普通にあるらしい。

 そういうば、この日はまだ1日だが、スーパーでメザシではないが、シシャモが安かったから買ってきたばかり。後でそれを孫に見せたら、あっ、これってメザシ?と喜んだ。

 保育園の先生に、つい、その謂れを聴いた。鬼が玄関から入れないようにするのだとか。葉は柊で、クリスマスの続きか。ネットで調べたら、棘のあるような葉で鬼を寄せ付けないとか、メザシの焼く臭いが鬼は嫌うのだとか。よく、言われる、鰯の頭も信心というのはこのことか。面白い風習で、それは信心というより正月のしめ縄と同じで、飾りとしてなくてはならないものなのだ。西洋でもドラキュラにニンニクだから、世界中、どこでもいろんな悪霊退散の風習は食物絡みであるのかもしれない。

 それにしてもリアル。玄関に生干しだろうが、鰯が三匹柊の葉と飾られているのは、外人さんなら喜ぶ。日本にいて、わたしは関東に10,年暮らして初めて見るというのは、東京でもあまりやっていないということか。スーパーでもメザシを山積みにして売ってはいないし、どちらかというと豆を各種売って、恵方巻に力を入れている。力を入れ過ぎて、余して、毎年大量に捨てているというから勿体ないと書きたてられている。今年はどうだろうか。恵方巻も関西からというから、東京にいたときは知らなかった。ここ何十年かで全国に広まった。何か寿司屋の陰謀くさい。パレンタインは菓子屋の陰謀でと、みんな商売絡みで考える。恵方巻はどこも競争激化で積んでいる。わたしはここ数年は買っているが、生寿司の高い具のものは買わない。チラシ寿司を巻いたような安い太巻きを買って、今年はどっちの方角でも関係なく、がぶりとかじりつく。

 豆はどうなのだろうか。青森にいたとき、子供らが小さいときは、落花生の殻つきのものを買ってきて部屋に撒かせた。それなら後で見つかっても食べられるし、汚くない。大豆なら、足で潰して掃除が大変だ。青森の家庭では落花生ではなかったか。東京に出てきたら、玄関周りに大豆が落ちていたから、こちらは大豆か。それはスーパーでも特設台で売っているから判る。その素焼きの大豆はわたしは好きで普段からでも買ってきてポリポリと食べている。体にはいい。同じ大豆でも納豆を撒けば、鬼でなくても嫌がって入ってこないだろう。

 

 四歳児が保育園で赤鬼のお面を作ってきた。見たら、紙の使い捨てのお皿に眼を開けて、赤く彩色、セロハンも赤いのを眼のところに裏から貼っていた。わたしにもかぶってというが、頭が大きいので壊れる。それでも面をつけて見たら、「ほらね、みんな赤く見えるんだよ」と、赤鬼は世の中が赤く見えるらしい。青鬼はいないのか。そうしたら、「今日、保育園に青鬼さんが来たんだよ。それが優しいの」というから、みんなで入れてやったという。鬼は外ではなく、内に入れてやる。「だって、鬼さんは何も悪いことをしていないんだもの」と、孫は言う。平和な日本では鬼退治はしないのだ。鬼畜米英と戦前の教育から、桃太郎も悪いことをしていない鬼から財宝を奪い取る悪いやつのイメージがあって、「おかしいよね」と、孫は言う。そうだな、ロシアもウクライナに攻めて、覇権主義はまさに鬼退治で、おかしいよな。と世界情勢の話になる。それと、福は内と政治家のように懐に入れるのもな。

 孫が保育園からもらってきた大豆を二人で食べる。確か、年の数だけ食べるんでなかったかな。わしは72粒も食べないといかんな。おまえは四つだけ。

 

 明日は立春、その前日が節分というとネットに出ていた。暦の上では春というが、青森はこれからが真冬の本番。こちら湘南はもう梅も桜も早咲きは咲いて、春爛漫も近い。バレンタインに桃の節句と行事もピンク色でこれからはほんわかムード目白押し。地震の来たところには春はまだ先だが、わたしにも春は来るのだろうか。