ペットボトルも公害になると久しく言われていても、一向に政府は動かない。アスベストのように、世界から出遅れる。もう、メーカーも良心的に方向転換をしたらいいものを、いつまでもペットボトルの製造をやめないばかりか、誰も何も言わない。グリコだけが昔から紙パックでペットボトルや缶のジュースを出していなかったのは、会社の姿勢だろうか。

 湘南の海岸を歩いていても、如何にペットボトルが漂着しているか。それはいつも掃除して取り除いていてもきりがないくらいだ。不法投棄もあるが、ポイ捨てもある。それがやがてマイクロプラスチック問題になり、海が汚染され、魚が食べて、われわれもそれを取り込む。捨てたやつの胃袋から吸収されて体内に蓄積されてくる。毒麦は蒔いたやつの口に還流してくる。

 プラスチックゴミの海洋投棄では、世界の統計では、第一位が中国で次にインドネシア、フィリピン、ベトナムと、上位すべてがアジアで占められている。それが海流に乗って、日本の海岸に漂着する。日本でもプラゴミはすごい。毎年、海で泳ぎ、潜るのが好きなわたしは、それを目の当たりにする。網などの漁に使うゴミもあるが、なによりもビニール袋だ。それが浮遊している海で潜るとせっかくの綺麗な海の世界に幻滅する。江の島などはとても泳げないくらい、ゴミだらけであった。

 

 世界的にペットボトルやビニール袋の使用を禁止する方向にはまだ向かっていない。その代わりになるものが確立されていないからだろうか。

 息子と話していて、昔はどうだったのと聴くから、わたしが若いときは、まだコカコーラも酒も牛乳もビンであった。学生時代の話だから半世紀の昔だが、学生寮で暮らしていた友人は、寮生が飲んだコーラや酒のビンをもらってきて、それが酒屋では一本10円5円で引き取ってくれるから、それで銭湯に行っていたと述懐していた。ビンでリサイクルしていたのがつい50年前のことだった。ペットボトルが主流ではなく、ヤクルトもヨーグルトも我が家には朝に配達されて、ガラスのビンであった。自転車で毎朝、カチャカチャと外から音がすれば、朝なんだなと判った。ガラス瓶の回収が物流で面倒くさくなったのが、プラ製品が出回ってきたからで、簡単でいいと、使い捨て。それが大量のゴミになる。ここ数十年のことだ。このままでは健康被害にもなり、肝臓腎臓すべてが侵される。昔の生活に戻らねばならない。

 インドに旅行に行ったときは、路上でチャイやラッスィを売っていた。それが素焼きの小さな容器で、飲んだら、路上に投げて壊していた。それはもとから土だから、土に還すというリサイクルなのだ。きっとまだプラスチック容器は高く、焼き物のほうが安く仕入れられるのだろう。

 東南アジアでは、紙コップは高いからと使わず、アイスコーヒーやジュースをビニールの袋に入れて、口を縛り、ストローを通して歩きながら飲んでいた。それもストローと袋は石油製品で、浮遊するゴミ公害になる。

 最近は、マックもどこもプラ製品を使わなくなり、スプンも紙ならストローも紙になる。ただ、コーヒーを頼むと、ついてくる紙コップの蓋はまだプラで、ポーションのコーヒーフレッシュもプラ製品を使っている。それもなんとかできないものか。日持ちさせるには紙製品でもできそうだが、蓋なんかどうせ何時間もしているものではなし、こぼれなければいいわけで、プラである必要もない。そういうファーストフード業界が出すテイクアウトのプラゴミもすごい量だろうから、いま一度紙製品に替えてもらうよう工夫したらいい。

 

 わたしは自販機ではジュースなんか買わないし、コンビニでも買わない。スーパーでもペットボトルのものを買うのはトマトジュースくらいのものだ。ドリンクはいつもガラスのボトルに家からお茶や青汁を作って入れて持ち歩いている。ペットボトルは、醤油やハチミツなどもそうで、それらもなんとかならないものか。プラの半分は土に還るか、CO2を出さない有機物を混ぜて製造するものやられているが、それが百パーセントではできないのか。

 ケナフは当初は脚光を浴びていて、それがCO2削減の救世主になるかと言われていたのが最近はそうでもなく、成長が早いので、一年草としてはパルプの代わりにすれば、森林保護にもなりうると植えられたが、使うところが2割よりなく、残りの8割は焼却するのでCO2削減にはならないと後退したのだ。

 ほかに植物由来の原料で容器を作ることはいろいろとやられているようだが、中には食べられる容器もあり、皿ごと食べてしまうとか。無駄がなくロスもなく、自然に溶け込む素材でペットボトルの代わりのものが安価に出回れば、公害はなくなる。ビニール袋もなくせばいい。わたしはサランラップはできるだけ使わない。蓋をして冷蔵庫に入れたらいいことだ。ビニー袋もなるたけ使わない。ゴミ袋も石油製品でないものを早く普及させないと、全国の家庭や事業所から出る量も大変だろう。

 

 子供のときはプラスチックというものはまだ出回らなくて、玩具はブリキで、プラモデルが出る前は木製の組み立てる飛行機や戦艦であった。パン屋にパンを買いにゆくと、紙袋に入れてくれたし、八百屋でも古新聞紙でくるんでくれた。レジ袋なんかなかった。買い物カゴを手に買いにゆくのは、いまのエコバッグと同じだが、醤油や味噌もビン持参で量り売り。天秤棒担いで売りにくる煮豆屋は丼鉢を手に外に走った。豆腐屋も自転車で来たが、丼に入れてくれる。

 高校の理科の先生が話していたのを思い出したが、その先生は戦前に長野県の松代にあった陸軍の研究所にいたとか。そこでレーダーの制作に加わっていたと授業中に余談で話していた。いま、君たちが菓子パンのビニール袋をポイポイと捨てているが、戦時中はそれがレーダーの材料になっていて貴重なものだったと、そんな戦後秘話だけは覚えている。

 

 いつからか、われわれの生活は石油製品に囲まれて、プラ公害も切迫している。癌も増えてきているのは、それが原因なのではないのか。目に見えないミクロ、ナノの世界がウイルスのように、生体を病気にさせる。人類絶滅する前に、なんとか昔に戻るか、新しい容器にしてもらいたい。