雨で日曜日、この日は息子たちは買い物というので、邪魔をしないように、わたしは傘をさして散歩に出る。自転車は雨でおいてゆき、久しぶりに歩く。どこに行こうかと、歩いて15分くらいの美術館に行って、企画展でも見ようと出かける。この日は雪にはならなかったが、寒い。それでか人も歩いていない。静かな日曜になる。

 

 美術館は展示内容が変わるたびに必ず見に行った。平塚在住で高齢者は無料ということもあるが、美術鑑賞も趣味のひとつなのだ。

 この日は常設展のように、新収蔵品展をやっていた。それを一通り見て歩いて、あれ、みんな知っている絵ばかりだ。と、会期を見たら、去年の秋から半年も長い。一度秋に見ていたのだ。なんだ、どうりで見覚えのある絵ばかりだと思った。

 別の会場では、岡田健太郎という造形作家の「重なる景体」と題する金属の立体。これは初めて見るものだ。ビデオでも制作現場を見たら、長さ一寸くらいの針金みたいな金属棒を溶接して繋いで行くという気の遠くなりそうな作業で、大きなオブジェを創る。毎度、湘南在住やこちらで活躍している作家を取り上げている。それを見て、帰ろうとしたら、一階の市民ギャラリーで、なにやら若い人たちがいっぱいいた。なんだろうかと覗いたら、東海大学の芸術学科の卒業研究発表展とあった。いつも、そこでは何か市民の作品展をしていて、わたしはよく覗いてゆく。

 

 東海大学は平塚の北のほうにあり、鶴巻温泉周辺だけでなく、平塚からもバスで行けるので、きっと学生たちが平塚に下宿しているのだろう。地元の大学だから、なんとなく親しみはある。海洋のほうでは有名だが、芸術科というのは教養学部の中にある。デザイン科もあって、その発表会なのだ。後でネットで見たら、デザイン科の募集はもうしていないで、その科は統合されるようだ。芸術よりはデザインのほうが実業界では受け入れられると思うのだが、そうでもないのか。

 会場に入って、作品を見たら、つい笑ってしまう。なんとも楽しい。意外なものがあり、よくぞ、ここまで発想したと、その若い想像力に感服した。

 立体と平面もあり、彫刻から絵画も展示してあるが、遊び感覚のモニターに映し出す映像もゲームのようで楽しい。「人と犬を繋ぐプロダクトデザイン」とか、「羽沢町の6次産業推進計画」という建物の模型の展示も見ものだ。「人生選択をテーマとした仕掛け絵本の制作」は子供たちが喜ぶ。木彫の上にはチビたちを乗せて遊ばせていた。「税金をテーマとしたキャラクターデザインと普及品の制作」はそのタイトルからして想像もつかなかったが、税の名前の人たちがマンガのキャラのようにおかしい。「寿司をテーマとした日めくりカレンダーの制作」では、カルタのように、回転すしのにぎりがシャリの上に乗る。「季節を楽しむ子ども向けマグネット玩具むの制作」では子供たちに触らせて作品そのものを楽しみ遊ばせている。「ヒンドゥー教の神々のデザインの大衆性についての研究」は、シバ神から哲学的で奥深い何かありそうな、それでいて美しいデザイン性が唸らせる。「近代日本女性のファッションをテーマとした図録の制作」は、考現学の青森の今和次郎のモデルノロジーのイラストのようで、そのままアートになっている。そのほかに書ききれないくらいの作品ばかりで、メガネフレームの提案なんかもよくぞ考えたものと感心したり、笑えるものばかり。若い人たちは一体、何を日頃考えているのかと、おもわず噴き出してしまう場面もあった。

 いまの政治の貧困は、ユーモアも想像力もない政治家ばかりだが、こんな日本と悲しむこともない。まだまだ日本にはこういう発想をする若者たちがいっぱいいるということで安心した。

 会場を後にして、これはブログで書こうと思ったが、この日が最終日で、午後だったので、帰ってから、許可を得て写真を撮ってくるのだったと後悔した。文字ではとても面白さは伝えられない。やはり画像があればよかった。

 

 四歳児も連れてきたら喜ぶだろうが、作品を壊したらいけない。小学生くらいになったら連れてきたい。美術館も知的な遊び場には違いない。それが教育の場としては無料で体験できるのがいい。