年末年始に何か映画ても見ようと、息子と映画館の情報をネットで調べていたが、ずっとここのところだけでなく何年も見たい映画はなかった。親父がシベリア抑留されたことから、シベリアのラーゲリに収容されて、そこで本国に残した妻と会えずに亡くなるという『ラーゲリより愛をこめて』を一昨年に見たぐらいだ。

 正月二日は池袋の映画館で、娯楽映画の時代劇を見たが、後味も悪く、何も残らない。がっかりとした。それよりは、役所広司主演のトイレおじさんのパーフェクトディズのほうがよかったが、そういう話は息子は嫌うだろうとやめた。わたしは、掃除夫もしているので、なんとなく共感はできるかなと、見てみたかったが、そのうち一人で行ってみよう。平塚にもシネコンがひとつだけあるが、それも上映時間がある。見たくても、夕方なら、保育園の迎えがあるから見られないし、朝一番でも掃除がある。一日一回だけの上映時間に合わせるのが大変だ。まして夜のレイトショーは孫がいてパパが残業なら出かけられない。シニアは前は千円であったが、値上げしてもまだ1200円とかだから、安く見られる。

 

 わたしの毎日もパーフェクトとは言えないが、最近は毎日が行くところが決まって、ルートも同じなら、つまらないと、退屈を感じ始めていた。寒いので外はダメで海にも行っていない。室内では、ららぽーとなどのショッピングモールとか、スーパーのイートインとかローソンカフェとか、ファミレスなどで、本を読む場所を渡り歩いて時間潰しをしている。毎日が違うという映画のテーマではなく、毎日がほぼ同じなのだ。それは受け取り側の問題だろうが。

 それではいけないと、鎌倉に行ったり、横浜に行ったりもしていた。それも保育園の迎えがあるから夕方までに戻らないといけない。どこに行くにしても、自転車は駅近くの働いているマンションに置いてゆけるから、便利だが、バッグには青汁やフルーツ酢のドリンクを詰めてきて、簡単な昼飯も作ってきたりするのが入っている。それと本がどっさりとタブレットPCで、それだけあればどこでも過ごせる。なるべく金は使わない。

 

 掃除の仕事は朝の二時間だが、10階建の廊下や階段、エレベーター周り、エントランスと駐輪場に外周の道路などを掃いたり、拭いたりする。それとゴミ庫の分別。なんでも一緒に入れて捨てるから、ゴミ袋に手をつっこんで、缶やビンを出す。ペットボトルはキャップは別にして、皮を剥く。綺麗にすると気持ちがいい。毎日終わらない仕事だが、掃除をするというのは、みんなが気持ちよく暮らせる環境作りで、それは住人にいつも感謝されている。おばあちゃんは毎度、わたしに自販機やコンビニから買ってくるコーヒーやお茶のペットボトルを二本もくれる。OLの綺麗な人は、にこにこと挨拶して、「いつも綺麗にしていただきありがとうございます」と、お礼をする。喜ばれるのはこちらもやる気が出る。正月は百円ショップでお供えの小さなのと造花を買って、管理人室の窓に飾った。かわいいとみんな言ってくれる。体も動かすので、なんとなく毎日の作業がトレーニングと思うから一生懸命に汗をかいてやる。綺麗にするというのは、行のようで、自分のこころまで洗うような気分にさせる。

 

 マンネリ化を防ぐために、昨日はふらりと辻堂に行ってみる。掃除が終わり、そのまま電車で二つ目の辻堂は藤沢だ。まずは、ファミレスでモーニングをいただく。そこはポイントで無料になる。朝飯は食べてきたが、早朝なので腹も減る。ドリンクバーもついて400円少しだが、ポイントだ。スープとゆで卵と厚切りトースト。持参した本を読む。

 それから駅前の大きなテラスモール湘南に移動する。買い物ではなく、休憩できる椅子テーブルがあちこちに置かれている。そこでタブレットPCで日記やブログやおふくろの手紙を書いたりする。

 テラスモールは各階にテラスがある。パラソルの下にガーデンテーブルと椅子。そこでまた読書。いい本を読んだ。『私たちはいつから「孤独」になったのか』フェイ・バウンド・アルバーティというロンドン大学の感情史の先生の本。眠くなる。外でも天気はよく、朝晩は寒いが、昼間はぽかぽかだ。日焼けもするだろう。

 向かいにあるスーパーにいつも寄って覗いてゆく。お買い得だけ買い求める。食品でも魚が安い。さらに駅の南口に行って、裏通りにこじんまりとした古本屋があるので、行くと必ず買ってゆく。それも三冊二百円だ。高齢のおばあちゃんが店番をしている。寝ているときもある。起こすのがかわいそうだ。湘南で古書店はここぐらいか。いまや絶滅危惧種だ。

 南口には図書館もある。そこも必ず寄るところで、どこに行っても図書館だ。本から頭が切り替えられない。新聞各紙を読んでゆく。

 電車で平塚に戻り、夕方、保育園まで自転車で走る。食品は買ったし、古本も買い、何か充実した一日に満足する。