平塚に千葉の稲毛から引っ越してきて2年と9か月が過ぎる。市内でさらに引っ越したのが8月の終わりで3か月半が過ぎた。老後の一人暮らしが息子一家と暮らすようになり、かなりの変化はあったが、それまで暮らしていた南へ10分くらい歩いた追分という交差点よりも、いまの御殿という住宅街のほうが暮らしやすいと思う。息子は初めて平塚に来て、孫たちまで、ここが気に入っているようだ。家賃が安いのに、部屋は綺麗。3LDKで居間とダイニングは12畳あり他に三つの六畳間がある。ベランダも広いし、駐輪場も広い。宅配ボックスは裏にあるので、宅配便の配達員からよくどこにあるのかと電話が来る。風呂も広いので、足が伸ばせる。風呂のお湯張りを教えてくれる。トイレと洗面所も広く別々になっている。トイレはシャワーがあり、玄関のモニターも録画ができるようになっている。エアコンはそれぞれについていて、わたしの部屋には本棚まで作り付けであった。息子は家賃の割にコスパはいいと感心する。いい物件を見つけた。

 孫娘たちは、すぐ裏にコンビニがあるのがいいと言う。コンビニ人間の子供たちにはそれが一番のようだ。買い物は、歩いて1分のところにスーパーがあり、その隣にドラッグストアが隣接しているので、買い物は便利だった。バス停までも歩いて3分。わたしが太極拳の練習に行く総合公園の体育館まで歩いて10分だ。公園は広く子供の遊び場があって無料の動物園もある。孫を遊ばせるにはいいところだ。湘南ベルマーレのサッカースタジアムもそこにあり、土曜となると、サポーターたちがぞろぞろと来る。サポーターたちの声援がうちまで聞こえてくる。

 なにより、大きな総合病院が二つも近くにあるのはいい。市民病院と共済病院で、その代わり、救急車はしょっちゅう来るのでうるさいが。

 平塚駅まで歩いたことがあるが、30分だから、朝の混んでいる時間帯では歩いてもバス待ちと変わらない。空いている時間帯では平塚駅までバスで10分だ。わたしは最近はママチャリばかり乗っているので、歩くことがなくなり、自転車ばかりだ。孫を保育園に寄夕方迎えに行くから、ママチャリはわたしの足になる。

 そのマンションの辺りは、大きな昔ながらの家が多い。門からして違う。これが門かと驚く大きさの家もある。門にも部屋があり、門番が住めるのではないのか。それも江戸時代のものだろうか。近くの善徳寺には、徳川家康が別荘にした中原御殿の当時の400年以上前の門が移設して保存されている。中原御殿の面影はそれよりない。いまはわが家のマンションが建っている一帯が御殿のあった場所で、閑静な住宅地になっている。

 平塚は歴史ある街なので、大きく立派な寺と神社があって、田舎なのに驚く。家康と縁の深い日枝神社は町内会だが、それは御殿の鬼門の方角に位置していて、方除鎮護を担っていたとある。境内には東照大権現、家康を神格化した大きな絵馬が飾られている。

 先日、何気なくいつも歩いている道路脇に碑文があるのを発見した。駐車場の中にあって判らなかった。それを見たら、ここ中原から見た富士が北斎描く富嶽三十六景にあるのだ。昔は相州仲原と書いていた。信仰の山、丹沢大山の参詣道入口であったとか。旅人から釣り人など描かれているが、碑文のあるバス通りは昔は小川が流れていたようだ。

 毎日、夕方、孫を保育園に自転車で迎えに行って、そのバス通りを帰ってくるが、夕焼けに富士山のシルエットが綺麗に見えている。建物がなかった江戸の昔は田圃にすっきりと富士山がそそり立って見えていたろう。

 孫娘たちは中原の中学校に通っている。渋田川という春には桜並木が土手に咲く橋を越えたら中学校だが、そこからは富士山は綺麗に見える。先日は、平塚に青森から引っ越してきて三か月になるのに、孫娘が、パパに話したことが笑えた。通学路から岩木山が見えるよ。あれって富士山だったの? なんとも恐るべき無関心。