ホテルで息子はよく寝ていた。暮れの半夜勤の仕事で寝不足が、ここのところ毎日10時間は寝ている。わたしもよく寝た。起き出してチェックアウトすると、近くのマックで朝マック。そこしか開いていない。年中無休も大変な仕事だ。かなりの高齢のおばあちゃんがスタッフで運んでくる。わたしのように老人に頼らないと募集しても来ないのか。

 すぐが地下鉄駅で、昼に息子たちと新宿のスポーツカフェでサッカーの観戦しながら飲み食いしようということになっていたので、新宿に出る。地下鉄はがらがら。初詣は夜中で、もうみんな帰って寝ているのか。駅にも誰もいない。新宿も久しぶりだ。まずは、初詣を花園神社でしようと、歌舞伎町の方向に歩いた。普段よりは人出は少ないが、それでも新宿だ。店はどこも閉めている。花園神社はこの辺りでは一番大きい。ラブホやホストクラブばかりがやたらと多いゴールデン街辺りにあるから、なんとなく場違いな。参拝に並ぶが、そんなに並んでいない。後ろのカップルは、なにやら賽銭の額について話していた。ネットに書かれていたようで、116円がいいとか。息子もネットで見て、115円が縁起がいいとか。単なる語呂合わせで、「いい御縁」がありますようにだろう。6円とはなんなのかとしばし考える。10分も並ばず参拝できた。境内には芸能浅間神社が片隅にあった。いままで何度か来ていて気が付かなかった。見たら、有名な歌手や芸能人たちの名前が刻まれたプレートが並ぶ。藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑が建っている。芸能神社とは珍しい。そこで拝んでも、いまさら芸能界入りもない。

 息子は昨日、年越し蕎麦を食べなかったので、年越した蕎麦を食べたいと、歌舞伎町を探した。東宝のビルの周辺を歩いたら、そこがいま有名なトー横なのだ。女の子たちの姿はいない。交番にパトカーも待機していて、スピーカーからは、たちんぼについて行ってボラれないようにと警告していた。ホームレスも年末に追い出したようで、ブルーシートは撤去されていた。酔っ払いが寝ている。さすが、元旦から客引きはいないだろうと思いきや、いかがですかと声を掛けてくるのがいる。元旦からピンサロはやっているのか。

 ようやく東口前に蕎麦屋の看板を見つけた。開いている。入って天ぷら蕎麦にありつけた。それが昼飯。まだ時間があるので、駅周辺のファーストフード店が開いていたのでコーヒー。そこは激狭の店で、通路もようやく歩けて、座席も窮屈。よくこんな店を作ったものだ。

 昼に東口で息子たちと合流。長男は昨日までのコミケに出店していて、疲れたか、新年から具合が悪いと来なかった。次男とその長女のMちゃんが来る。四人で歌舞伎町の中にあるスポーツカフェに入る。Mちゃんは見違えた。7年ぶりで会った。大学3年で21歳というから、孫娘の中では一番上だが、すっかりとレディだ。経済学部で、来年は就活をするのだとか。それで将来やりたいことは韓国との仲立ちで、ファッション関係の仕事をしたいというので、ハングル語を習っていた。韓国に行って向こうの会社で、アパレルメーカーに就職したいというちゃんとした目標を持っている。

 サッカーの観戦を大きなモニターで見ながら、カクテルと料理をいただいていたときに、いきなり地震速報。北陸で大地震発生! 東京も揺れた。能登半島で震度7の激震。都内も震度3だ。それも長い。これはかなりの広範囲だから、マグニチュードも7以上だろう。しかも津波警報まで出ていた。なんだか、元日から大地震など、いままでにない。緊張感が走る。わたしはいつもヤフーの防災速報を見ていた。能登半島は最近はいつも地震ばかりで、それがどかんと大きなのが来た。次はどこだろうか。今年は災害の年になるのではないだろうな。首都直下型とか南海トラフと、富士山の噴火と、同時に来たらどうしよう。こんなゆっくりと昼間から飲んでるときではないが、一時テレビが消えて、スワッ、停電かと思われたが、すぐに点いた。落ち着かないので、同じビルにあるカラオケボックスで歌でもと、移動する。そこでもまた酒。孫娘とじじがデュエットで「いい日旅立ち」を歌う。亡くなった谷村新司の歌も歌う。なんと、しばらくぶりで歌った。カラオケもたまにはいい。

 息子たちに土産を手渡して、駅で別れた。今度は孫たちも連れて来て、六人の孫を一堂に会わせたいと。

 夕方になり、暗くなる前に、今夜の泊まるスーパー銭湯に行こうと、中央線で荻窪まで行く。荻窪駅前のなごみの湯というのがある。前はガード横で古かったのが、新しくしたのだろう。二回くらいこの温泉に入りに来たことがある。正月は少し料金は高くなるが、それでも3千円少しで朝までリクライニングシートで寝られる。まずは、風呂に入る。新しくなったら、がらりと中身も変わる。サウナが三つある。岩盤浴は入らなかった。露天風呂はひとつだけ。入浴して部屋着のまま食堂でサンマー麺をいただく。それから休憩室でテレビがついているシートでごろん。地震その後の被害状況をニュースで見る。正月の特番はすべて後日になる。そんな娯楽気分ではない。わたしが若い時に仕事で暮らしていた富山も出てくる。能登半島は一周したが、輪島もやられている。津波は北海道と青森まで広範囲に及ぶ。

息子はいつしか隣で寝ていた。やたらと咳をしている人たちがいる。それも何人もだ。わたしは咳は治まったが、大阪の友人からは後で年賀状を見たら、マイコプラズマ肺炎になったと書いてあった。また新しい病気が蔓延しないといいが。

 それにしても、今年はどうなのか。激動の年になりそうな予感。正月から身が引き締まる。