孫たちを母親に預けて、わたしと息子と二人は日頃の育児から解放されて、本当の正月休みを都心で過ごそうと出かけた。箱根や熱海の温泉場はすでに予約でいっぱいで、料金も正月値段でばか高い。それならみんな田舎に帰省したがらがらの東京はどうだろうかと、調べたら、ビジネスホテルなら安く泊まれる。それを予約した。どこでもよかったが、たまたまトラベルのサイトで出てきたのは勝鬨橋のたもとのホテル。

 息子と電車で東京に出る。電車は空いている。品川で降りた。昼飯は品川プリンスホテルのバイキングを息子が予約していた。その時間が1時なので、それまで品川宿を見て歩こうと息子を連れ回す。わたしは何度か見ていたが、息子は初めて。まずは、旧東海道の宿場町だ。品川駅周辺は高層ビル群が林立していて、都会になったが、少し歩いたら、江戸情緒のある歴史街道。下町になるのに息子は驚く。こんなところがあったんだ。船溜まりがある。屋形船が休んでいる。そこも好きなポイントだ。その並びに鯨塚がある。11代将軍も見に来たという、大きな鯨が海に上がる。その死骸を埋めたところにある鯨塚。昔ながらの草履屋さんやお茶屋さんも古い看板を出している。日本橋から最初の宿場品川だ。本陣跡は公園になっていて、そこも見る。

 品川神社に詣でる。初詣は明日元日だが、大晦日の今日が本当は神社にお礼にお参りするのだとか。みんな願事をいろいろと神様に頼むのは筋違い。一年の無事を神様にお礼するのが本当だとか。だけど、品川神社など世話になったこともないし、神様って誰? 息子は信心があり、賽銭箱を見たら入れたがる。神社の境内に富士山がある。富士塚で、溶岩のようなもので築かれた人工の小山で、富士山信仰のミニュチュアが関東一円にある。その上まで上がる。見下ろしたら、北品川の京急が走っている。登ったのは三度目だが、いつ来てもいいところだ。

 時間がまだあるから、品川駅にあるモールのカフェに入る。どこもいっぱいだ。これから羽田で飛行機の帰省組がいた。スーツケースで時間までコーヒーか。品プリのバイキングはわたしは昭和58年のフランス人のパティシェエ夫妻を連れて、親父と来ていた。定番のバイキングは昔からあり、それ以来だ。息子たちはよく来ていた。年末のコミケに出店していて、そのご苦労さん会を終わってから品プリで毎年していた。

 会場はいっぱいだつた。一通り食べて、最後のアイスとデザートケーキもお替わりした。まだまだ食べ放題はゆける。年を忘れて食べまくる。

 それで腹がくちくなったところで、少し歩かないといけない。山手線で有楽町に出た。銀座も久しぶりだ。外国人観光客ばかりだった。ほとんどが外人ではないのか。そこから築地に行く。別に買うものはない。みんな観光客相手で高い、高すぎる。おせちに使う伊達巻も一本が6千円近くする。海鮮丼も4千円5千円とバカにしている値段で、見るだけ。松坂牛の串焼きが一本3千円とか。食べているのは裕福な中国人ではないのか。

 出たところにある波除稲荷神社に詣でる。そこも前に来ていたが、酉の市のときだ。牛丼の吉野家の創業の地という碑があった。茅の輪潜りもしていた。巨大な獅子舞の首が祀られている。

 バスに乗って、時間潰しに晴海埠頭に行ってみる。客船ターミナルがあって、海浜公園がある。4年前に股関節に人工関節を入れたときにリハビリでここに来ていた。あのときは歩くことに専念していた。銀座から歩いたのか。そうしてバスの終点まで行ったら、誰もいない。ターミナルは壊されて更地になり工事中。ベイブリッヂを見て、カモメを見て写真を撮って帰ってくる。

 夕方になり、勝鬨橋のホテルにチェックインする。大きな建物だが、それが面白い。ワンルームマンションを改造してビジネスホテルにしたのだ。造りはすっかりと普通のマンション。部屋はツインで冷蔵庫からテレビとあるし、アメニティも揃っているが、通路に出たら、その辺のマンションと同じなのだ。荷物を置いてから、近くのトリトンスクエアに行ってみる。前に寄ったら、オランダのようなガーデンがあって、運河と船と花が咲いていてとても綺麗な雰囲気だったが、もうすっかりと暗い。スーパーがあって、弁当からなにから半額にしていた。サラリーマンたちが争うように買っていた。われわれもおせち料理を半額で500円くらいと安くなったのを買う。和生がないので、餅菓子も半額を買い、日本酒の濁酒なども買う。しめて1960円の年越しのご馳走。一人千円もしないでホテルで年越しができるとは。青森もそうだが、大晦日におせちを食べる。年越しそばは食べる風習はない。東京は、蕎麦屋に大晦日は並ぶ。それを息子が見て、驚いていた。東京は元日におせちを食べるのだ。

 ホテルの部屋で息子と親子水いらずで年越しをする。テレビで紅白を見ていたら、息子は風呂に入って寝てしまう。疲れていたのだ。わたしは行く年くる年をテレビで見てから寝た。息子は言う。まさか都心でこうして年越しをすることになろうとは、一年前は考えられなかったと。わたしは毎年、都心や旅行で温泉とホテルで正月を迎えていた。それが当たり前になってきていた。独り者には気楽でいい。新しい年はどんな年になるのか。わたしの予想では、さらに悪くなり、世界は悲惨になると見ていた。希望的観測ではいけない。最悪を考えて締めてゆかないと。