12月27日は病院の最後の診察。そのときに耳鼻科に行って、ぎりぎりセーフで10日分の薬がもらえた。わたしは毎年そうだが、年末病というか、病院が終わるときにいつも駆け込んだ。熱が出たり、具合が悪くなったりした。息子に正月でも開いている当番の病院を調べて車で連れて行ってもらったこともある。毎年一年の疲れがどっと出る。

 年賀状も来る人は決まっているから、最近の写真を入れてプリントアウトして出した。青森の施設にいるおふくろには毎年、何かを送っているが、2024年のは正月の占いシールとおしゃぶり昆布など手紙に同封して送る。

 2023年もいろんなことがあった。私的十大ニュースは、なんといっても夏に息子たち一家が平塚に越してきたこと。それで部屋数のあるマンションに引っ越した。二年半暮らしたワンルームも同居するから引っ越した。1月には秋葉原の息子たちの会社の経理を辞める。それからまた自由な老後になるが、あまり退屈なので、マンションの清掃掛け持ちのバイトをするようになる。それもあってか体重が減って、スマートになったと笑われる。旅行も随分と行った。1月には、初日の出を見ようと大晦日から九十九里浜に二泊した。後半には土浦と福島の岳温泉に行く。4月には青森のペンクラブの総会に出る。箱根にも一泊して花見。5月には千葉の温泉に一拍。6月から7月にかけて群馬の四万温泉と秋田の温泉に泊まり青森へ。10月と12月は葬式で青森に帰る。この一年で、9回は旅をした。息子たちと暮らすようになると、それもこれからはあまりできない。親友が死んだこともショックではあった。最後の叔父が亡くなったこともそうだが、いとこ会というLINEで繋がり、久しぶりにみんなの情報が聴けた。孫たちと同居して育じいをするようになったのも初めての経験で、老後の静かな一人暮らしが一変する。孫とべったりと一緒に暮らしたことがないから、いろんなことがあって、頭も悩ます。わたしの去年の四文字熟語は閑中忙有だ。


 12月28日には掃除の仕事も最後で、年明けはゴミの収集が始まる4日からとなる。それまで六日間は休み。平塚のいきがい事業団に12月の勤怠を提出に行く。会う人、会う人、よいお年を! だ。図書館も最後で、一週間は休むから、まとめて借りるのだが、15冊より借りられないので、いつもより分厚い、読むに時間のかかりそうな本ばかり借りる。カウンターで若い職員の女性から、いつもたくさん借りていただきありがとうございますと、お礼を言われた。お礼を言うのはこっちだよ。テレビは年末年始は特につまらないからねと言って、借り溜めだと笑う。

 保育園もその日で終わり。孫を迎えに行って、先生たちにご挨拶。着替えなどを引き出しから全部大きなバッグに詰めて持ち帰る。

 明日から一週間は保育園は休みだから、逆にわたしが忙しくなると思ったら、そうでもなく、平塚に引っ越してきていた母親が孫たちの面倒を見るということになり、青森から、母親の姉も遊びに来て、賑やかに母の方でみんなで年末年始を過ごすというので、それはそれはと、わたしは冷蔵庫を空にする。ベタベタとこびりついた冷蔵庫二つをみんな出して、古いものは捨てて、綺麗に掃除する。あるもので食べて空にする。年末の大掃除は孫たちがいればできないが、いなくなれば整理もできる。

 大晦日から都心に息子と二人だけで行って、孫のいない親子水いらずで正月二日まで親戚巡りもする。それはまた別のブログで書く。孫たちから解放される年末年始は息子も仕事が4日からで同じだが、半夜勤で疲れて、ろくに寝ていないのが、休息にはなるだろう。午后出勤で、帰ってくるのは夜中の3時だった。それから部屋で寝ていても四歳児がうるさいので、車に移動して寝ていた。それもなくなり、さっぱりとしていい年を迎えられるか。


 去年は散々な年であったが、今年はどうなるのだろうか。予測はまるでつかないが、世界はより悪い方向に向かっている。今年も戦争は拡大し、天候異変で、作物は不作、不漁で食品の値上げ、世界各地でそろそろ暴動、革命が起こりそうだ。地震や豪雨、温暖化でさらにひどいことになり、政治はどこもひっちゃかめっちゃかで、幼稚園児よりひどい。混乱はしばらく続き、犯罪や事故も増える。きっといいことなんかひとつもなく、世界は暴動の年になりそうだ。経済破綻が波及するのは日本にもじわじわと津波のようにやってきて、われわれはいままでと同じ生活はできない。締めてかからないといけない年だろう。悲観的に考えても、わたしはそれを楽しんでいる。その荒波でどうサバイブするか、ゲーム感覚で楽しみたい。