古書組合の青森組合では、市がない。秋田にも山形にもない。それは、組合員が少なく、機動力がないからだ。東北で古本の市をやっているのは、岩手と仙台だが、岩手のほうがモノが集まり人も出る。それで、毎年何回か岩手にお邪魔している。東京までは車で行くのは大変だし、送らせると送料もかかる。往復の旅費と滞在費を考え、市で落とせないほど高いとなると、車で二時間くらいで行ける盛岡が行きやすい。それで、毎年の市は岩手組合さんに依存しているのだ。
 本当のところ、市で買わなくてもかなりの本が店に入るので、仕入れには困らないが、店の仕入れだけでは珍しい毛色の変わった本が入らない。それで、市に行くと、東北各地の郷土本も落手できるというわけで、いまのところ皆勤賞もので出かけている。
 手ぶらで行くと嫌われるので、いくらかモノを持ってゆくが、それは、ネットで売りにくい商材を持ち込む。うちで手に負えないのは、まくりや軸もの、刷り物といった古美術品であり、店で展示販売していないので、どうしても苦手とするところだ。逆にそうしたモノは市では売れる。市では本よりも本以外のモノが多く売れる傾向がある。古書目録を見ても、次第に図録が美術品や肉筆原稿、書簡といったものが幅を利かせるようになってきた。
 年末の市は花巻温泉郷の奥にある大沢温泉で毎年行われている。いつもなら日帰りで市が終わると帰るのだが、今年はみんなが泊まれというものだから、一緒に忘年会に入れてもらうことにした。
 こちらから市に持ち込んだものは、お客から預かった戦前の絵葉書が一箱。軍事ものから風俗、観光といろいろ入っているが、入札にして止めも入れた。なにしろ処分を頼まれたもので、落札価格の三割を貰う約束だ。
 他に二人の客から依頼された工芸関係の本と大正時代の保存のいい双六など九枚、ビッタ、パッコという戦後のものだが、赤胴鈴之介、双葉山などが載っている懐かしいものが一箱。大正時代の新聞の束と地図などを出した。二十組くらいを持ち込んだ。
 花巻まで東北自動車道で二時間。それから温泉までは十五分だ。早朝六時に雨の中、青森を出た。ぼんやりといつものように運転していたので、花巻インターで降りてしまった。本当はもうひとつ向こうの花巻南インターで降りなければならない。それで、無意識に運転していると、次第に道路は狭くなり、行き止まりになった。こんな道は走ったことがない。おかしいと思って訊くと、同じ温泉郷だが、全然違う台温泉という鄙びた温泉町の細い道に入り込んでいた。
 雨は土砂降りになっていた。ようやくのことで大沢温泉に入る。すでに来ている人がいる。早めに来て、なるべく近いところに車を止めなければ本を運ぶのが大変になる。
 今回はフリのモノは持ってきていなかった。組合の仲間は、入札よりもフリのほうが高くなると言い、確かにフリに回すほうが多くなった。熱くなって、高くなるので、これはと思ったものはフリに出す。
 午前中から午後三時過ぎまでかかるほど、フリに出すモノは多かった。最初は、錦絵や軸もの、古美術品などが出た。わたしはそうしたものは全く扱わないので、ただ見ているだけ。
 一冊で何千円から何万円とする本もフリ人が投げる。声が数人からかかり、やはりなと思うほど高くなった。次第に熱くなってくる。東北各地だけでなく、関東のほうからも古本屋が来ている。五十人以上のおやじたちが、立つ場所もないほど、フリ人を囲んでいた。
 わたしの出番は質より量で、雑本専門だから、どっとボウで六本とか七本とか束にした本が出たときだ。どうしても貧乏性で、学生時代から安い本ばかり買ってきた。一冊二万の本を買う金があれば、百円の本が二百冊買えるじゃないかという笑うような古本屋で、スーパーで食材を買っても、一パック千円もする筋子や数の子は敬遠して、百円くらいのフリコでいいじゃないかとなる。
 後半戦からいよいよわたしの声が飛ぶ。いつもなら、息子も連れてくるのに、今回は泊まりだから一人で来た。次第に獲物が山となる。
 わたしと不思議に張り合うのは、岩手組合の老舗のAさんだ。ずっと先輩で、古本屋の格が違う。一応、うちは後発で新参者だ。少しは遠慮しなければならないときに、そうした戦には仁義もくそもない。
 だけど、わたしの貧乏性は万の声まで上がると尻込みする。それ以上はとても入り込む勇気がない。実にだらしがない。
 和本の屑でも、何が入っているか判らないから、品薄でもあるから買ってみたいが、Aさんは誰も声が出ないのにそれを買う。わたしもそう思う。箱の中の九割がゴミでも一割の何かおいしそうなものがあるかもしれない。
 ショタレも出た。東京方面から業者が来ていて、売れそうなタイトルの本を出す。新本だから返本のものといっても値段次第では売れそうだが、わたしは白っぽい本にあまり興味を示さない。中には食指が動く本もあり、五冊同じ本が出て、七人が手を挙げると、じゃんけんだ。八戸から毎度来る仲間の湊文庫さんはいつもじゃんけんで負けた。弱い人もいるのだ。
 昼飯は隣の食堂で豪華な二段弁当だ。それに昼からビールが振舞われる。若い人たちの間で食べた。泊まりだからもう車を運転することはない。みんなに勧められてビールで顔が赤くなる。
「あまり飲ませないでくださいよ。酔って、気が大きくなるから。そうなると、安く買えなくなる」
 わたしはすでにできあがっていた。ヒック。わたしの本を読んで、ブログも毎日見ているという仙台の古本屋の二代目が声をかける。ここでは大きな顔はできない。右を見ても左を見てもみんな大先輩だ。逆に教えられることが多い。
 午後三時から入札と、予定より遅れたのは参加者と出品が多かったからだ。今回の出来高は全回の二割増という結果で好評だった。岩手組合の会長が若手のKさんに交代した。彼は熱心で、手紙だけでなくメールや電話でも参加の呼びかけをして、まるで脅迫電話だった。出ないわけにはゆかないし、手ぶらでは出られない。それが功を成して今回は大部屋では足りずに、向いの別室まで借りて本を並べるという大盛況だ。
 わたしは先輩の古本屋のおやじさんから、またひとつ勉強をした。入札でつける値段には思いやりがなければならない。付ける値段にはその古本屋の品性も見えてくる。これはいい言葉で、わたしも反省した。とにかく安ければいいというものではない。相手に同業者として立場が逆ならと思う気持ちもなければならない。それはまるでわたしに向けられている言葉として、政治家ではないが、重く受け止めた。置き入札は最低二千円だが、モノによっては止めを入れていなければ、封筒の厚みで判るから、わたしは最低価格の札を入れた。多分、わたしより買わないだろうと思うからだ。それではいけない。わたしは叱られた子供のように小さくなっていた。
 それと、うちで売る本の価格が安いということも買いの値段に跳ね返る。黙っていても仕入れで入るからという強気もある。客から買ったほうが安いので、ついそんな値踏みになるのだ。それはわたしがまだ新参者で、業界を知らないという恥ずかしいことに思えた。
 市は終わった。ワゴン車にはいりきらないほどの本を買った。一人で運んでいると、みんなが手伝ってくれた。こんなに欲たかりで買ってと、笑われるほど、満載になった。本が買えると嬉しい。店には入らないことも考えずにとにかく買った。
 雨は強い降りになった。これが青森で水害になろうとは思いもしない。出品した本はすべてボウで引き下げた。紐で縛ったボウの本もかなり買ったし、これから夜はボウ年会だ。
 ひとまず風呂に入って、それからだ。