Yはわたしと仲がいい。家が近所だということもある。いいたい放題言えるというのがいい。わたしより十は年上だが、まだ若い。どこかトッポジージョに似ているから、陰ではそう呼んだ。
 その彼とよく飲み歩く。すると、帰りが一緒の方角だから、飲み屋から歩いて帰るのたが、きまって彼は立小便をする。
 信用金庫の壁に夜中、帰る途中にしていた。
「おいおい、何か信金に恨みでもあるのか。融資を断られたとか」
「いや、向いの銀行の本店でもしたことがあるよ」とけろりと言う。
 善知鳥神社という青森発祥の由緒ある神社が市の中心にあるが、彼はわたしの見ている前で、そこの鳥居にも立小便をした。
「バチがあたるよ」と、わたしが笑って言うと、彼は口も下もシャーシャーと言ってのける。
「いいよ、天罰が下って、ちんぽが腫れあがって大きくなったら嬉しい」
 まさに、彼にしたら神も銀行もないのだ。よく、立小便をされないように、塀に鳥居の絵を描くのがマンガなんかにもある。いまは見かけないが、昔はよく酔っ払いだけでなく、市民は平気で立小便していた。家の人がその臭いもそうだが、自分の家の塀にされてたまるかと、鳥居を描いた。すると、とても鳥居に向かって小便はできないと、遠慮するのが普通なのに、彼ときたら、その正真正銘の鳥居にしている。
 夜回りの警官に見つかれば、いまは軽犯罪だろう。捕まっても過料一万円らしい。それが人前でやれば公然わいせつで、三十万以下の罰金だ。
 わたしが子供のときは、女も男も立小便は普通にしていた。女は座り小便だが、するのは子供か婆さんだ。うちの家の前は広い砂利の空き地になっていた。まだ公園もできないで、道路も拡張していないときだ。その空き地によく着物の裾をよいしょとたくしあげ、尻をでんと出して婆さんたちが小便をしていた。わたしら子供もいちいち家まで戻って便所まで走ると間に合わないので、その辺でしていたのだ。
 『東北ーつくられた異境』という河西英通著の正続二冊を読んだが、それには面白い史実が描かれている。明治十二年に東京の絵師が描いたという函館と青森のスケッチに、男女の桶箱に跨いで小便をしている図がある。不潔なること言語道断と、見るものを赤面させたとある。
 立小便は、明治維新の文明開化で、悪習として禁止された。青森でも明治六年にお触書が立て札として町衆に知らしめるようにしたが、戦後までずっと立小便は続いたのだ。
 宮武外骨の滑稽新聞でも立小便のことが取り上げられている。明治以降、急激な欧米化に向かっていても、庶民のやっていることは同じだった。
 いまや、犬猫の小便やうんこも煩くなっている世の中だ。人間様が立小便するというのはいまではあまり見かけないし、考えられない。
 だけど、生理現象は仕方のないことだ。観光バスでも、長い道中で、ドライブインのない山の中では、乗客たちが大騒ぎして、やむなく緊急事態で、バスは停められ、慌てて駆け下りる乗客が思い思いの藪の中で、頭だけ出して実に爽快な顔。大のほうなら、紙はなくとも葉っぱがある。野糞、野小便というのは自然の中で実に気分はいい。
 現代でもお祭りとなると、街にどっと観光客が集まるから、トイレが不足になる。みんなビールを飲んだり、夏の暑いときで、水ものばかりだから、尿意を催すのだが、一般の食堂やオフィスビルはトイレだけは貸してくれない。そこで、ビルの隙間や小路、駐車場といった暗がりに入っての立小便となる。
 ねぶた祭りも翌朝見ると、大の跡もそのままあって臭いがしてたまらない。事業所によっては、駐車場だけでなく、ビルの隙間に入れないようにロープを張ったり、見張りの社員をおいたりしているところもあるくらいだ。
 仮設のトイレも市では毎年かなり準備しておくのだが、その前は長蛇の列となる。間に合わない人が続出する。なにせ一日の観客が六十万人という人出だ。多くの事務所、商店は夜だからシャッターを下ろしている。すみませんと、普通の住宅にまでトイレを借りに入ってくるくらいだ。
 うちの娘も小さいときは、間に合わないで、駐車場の車の間でさせた。
 一日に何回もお世話になるトイレだが、外出のときはいたしかたがない。ことにわたしのような前立腺肥大患者は小便の頻度が高い。どこに行ってもトイレを探すのが一苦労。
 いまはあまり見かけなくなったが、小便小僧の噴水があった。確か青森の街にもどこかにあったと記憶するが、いつのまにか消えていた。あれは全国どこでもあったたものが、やはり風俗上好ましくないからと次々に撤去されたのだろう。ああいうユーモラスが街から消えてゆくほど、人々のセンスは堅く悪くなった。わたしの幼少のときに遊んだ遊園地にはライオンの口から水が出るものがあった。最近はそんな遊び心までなくしている。

 高校生のときに、八戸高専の友達がいて、その男子寮に泊まりにいったことがある。そのとき、彼は、二階の窓に立って、小便をするとスリルがあっていいし、夜景も見えるぞというので、二人して並んでやってみた。
 高台にある寮だったので、市街の灯りが見える。それで、窓枠に立って、落ちないように小便をするのだから、夜風が股座をそよいで気持ちがいい。
 彼と岩手の龍泉洞にキャンプに行ったときは、焚き火の火を消すのに二人で仲良く小便で消したが、そのときの小便の焼けるような異臭は忘れがたい。あれは酷かった。
 立小便というのはなんとも気持ちがいいものであった。野生の動物に戻ったような開放感がたまらない。
 雪国では、小便で雪に字が書けるのだ。子供のときはよくそんな遊びをした。降り積もったばかりの白い雪の藪に、立小便で「の」の字を書いたり、出が続けば「バカ」と書いたりした。
 また、男の子たちで、小便をどこまで飛ばせるかと、放尿距離を競ったこともある。並んで一斉に放尿するのだが、わたしのちんぽは小さいせいか、なかなか遠くまで飛ばなかった。飛距離はちんぽの長さと関係はないのか。そうした研究はなされていないのだろうか。
 立小便にはそうした郷愁がある。まだ、地面はアスファルトではなく、土があった。緑も多く、街にはあちこちに川が流れていた。自然が街に取り残されていたから、小便をしても行き場があった。
 いまは、アスファルトとコンクリートと鉄のジャングルに住んでいて、自由な放尿もできない。猫も始末に困りうろうろしている。
 落ち葉が路上に散る季節となった。その落ち葉も行くところがなく、風に舞っている。土に帰れない葉っぱの死体はどこに消えるのだろうか。そんなこともふと思った。