24、25日と法事で上京、その際、JR市ヶ谷駅近くのホテルに宿泊しました。たまに上京の折に利用していた別のホテルが3連休の中日で予約が取れず、たまたまネットで調べて泊まったホテルです。
予約してから思い出したのですが、市ヶ谷駅は私が65年前に、地方から上京して約1年間、毎日利用していた駅でした。今では懐かしの地ですが、当時は決して楽しく改札口を出入りしていたわけではありませんでした。電車の車内ではドア脇に目立たないように立っていました。
この駅から歩いて12、3分の城北予備校というところに通学していたのです。高校を卒業して「浪人」覚悟でただ一つ受験した第一志望の国立大学を「予定通り」落ち、入学した予備校でした。19歳の時です。調べてみると1935年に開校し、1987年に廃校となっていて現在はありません。
今はどうなのか知りませんけれど、当時は私が志望する国立大の受験には駿台予備校がトップとされていました。でも試験があり、大学入試に失敗したばかりですぐ試験というのも嫌気がし、試験のない城北予備校に入りました。大学入試に失敗し、予備校も落ちたら惨めと思ったのだったのかもしれません。
でも城北予備校はいい予備校でした。もちろん私と同じ大学を目指している人は多かったのですが、「浪人中」という暗さを感じさせない明るい雰囲気がありました。「自分以外は敵」などということはなく、短い期間だったとは言え、談笑したり喫茶店へ行く友達も出できました。地方から一人で上京した身にとってはありがたかったです。
予備校は市ヶ谷駅を降りて外堀に架かっている橋と外堀通りを渡り、左内坂という細い道を上った右手にありました。朝の通学時、坂を下ってくるセーラー服に胸をときめかしたのも思い出の一つです。
結局一浪でも夢は果たせず、これも「予定通り」私立大学に入りました。浪人は1年限りとも決めていました。予備校の入試にも尻込みをするようでは所詮、第一志望は無理だったようです。
そんなわけでホテルに泊まった翌朝、ノスタルジーを覚えながら左内坂を少し上ってみました。今は飲食店などが立ち並び、様相は変わっているように思いました。
余談ですが、新千歳と羽田を結ぶ機内ではマスクをしている人の方が少ない気がしました。特に帰りはマスク姿がちらほらなのに、周囲から咳の音がしてくるのには落ち着きませんでした。
市ヶ谷駅のプラットホームは外堀に面しています
私が通学しているころにはこんなに大きなビルはありませんでした。水もきれいになっています。
水鳥が遊んでいました。
当時も釣り堀はあったような記憶です。
予備校へと通ずる左内坂の入り口です。マクドナルドはもちろんありませんでした。ルノアールはあったかな?
この坂を毎日上りました。道の両側の景色は大きく変わっています。