少しずつ、マスクを外すかたが増えてこられ、話をしていても表情がわかりやすくなったと感じるようになりました。対面でお話をすると、やはり口元でのコミュニケーションも大切なことだと感じております。
笑顔を見る機会が増え、思い出したことが御座います。
もう数年前のことですが、あるお宅で1周忌のお参りに伺ったときのことです。お勤めをおえて、御家族、ご縁の方々と御斎をちょうだいしておりました。
故人は80歳を過ぎた男性、喪主はその奥様で御座いました。ご主人をなくされ、奥様は明るく振る舞っておられるようにも見えますが、やはり、まだまだ悲しみは残っているご様子でいらっしゃいました。
皆さん方のお話に耳を傾け、そろそろ失礼しようかと思っていますと、奥の方から大きな笑い声が聞こえてまいりました。何事かな、と目をやりますと、まだ1歳にも満たない赤ちゃんを見ている大人がみんな笑顔になっていた。 そうしますと、その赤ちゃんの母親と思われる女性が、小さく切ったイチゴを食べさせていました。
赤ちゃんはとても嬉しそうに口を開け、パクと食べると、先ほどまでの嬉しそうな顔はなくなり、身体を震わせ、たいそう酸っぱそうな顔をして食べています。5秒間ほど耐えますと、目を開けて、またイチゴを欲しそうにお母さんの腕を引っ張ります。
その様子に、周りの人たちはみんな笑顔で、「そんなに酸っぱそうにするのに、どうして食べるんだ。赤ちゃんの表情っていつまでも見ていられるね。」 そんな幸せな雰囲気がその家全体に広がっておりました。
亡くなったおじいちゃんにとって、その赤ちゃんは曾孫、残念ながら御生前に会うことはできませんでしたが、私の前に座っていたおばあちゃんもその日一番の笑顔を見せ、「じいさんにも見せてあげたかったな。」 そう言ったおばあちゃんの気持ちは、亡き人を思い、心からあふれ出た供養の気持ちであっただろう、そう思いました。
お香が周りに良い香りを広げていくように、笑顔もまた、まわりに広がってまいります。
幸せな日々を自分から他人へ、他人から自分へ、そんな生き方をしていきたいものでございます。
南無大師遍照金剛
大空町 弘明寺 月原 真人 僧正