第16回「座・読書倶楽部」は、藤野塁さんのレポート、池田浩士著『福澤諭吉 幻の国・日本の創生』(人文書院刊)の後半(二回目)となります。

 前回の参加者のやりとりで、国分さんの発言にあった福澤諭吉の『時事小言』で士族を脳と腕に、百姓町民を胃の腑に譬えて、後者を「豚の如きもの」と呼んだとする池田氏の解釈に、そこまでは言っていないのではないかと、文脈的な理解に対する疑義が唱えられたと記憶します。『時事小言』の「故二、今我国ニ士族ノ気力ヲ消滅スルハ、(あたか)も国ヲ豚ニスルモノニシテ、国権維持ノ一事ニ付キ其影響ノ大ナルヿ、論ヲ()タズシテ明ナリ」(P180)という引用の解釈によることだと思われます。これはこれで是非とも当日議論したいところです。

 それ以上に、この士族の反乱から自由民権運動の移行期に福澤諭吉が、次第にこれまでの読者層から離れていったことの意味は、はなはだ大きいのではないかと思われます。勿論、民権運動の主体を士族層に求め、『学問ノススメ』にあった天賦人権論をこの時期において否定することは大きな要因ではあるが、それだけだはないことは池田氏も指摘しています。福澤は当初、確かに民権派として位置づけられていましたが、自由民権運動が盛んになり国会開設請願などが喧しくなってくると、次第に身を引いてゆくことになります。「物数寄な政治論を吐いて、図らずも天下の大騒ぎになって、サア留めどころがない、あたかも秋の枯れ野に、自分が火を付けて自分で当惑するようなものだと、少し怖くなりました」と、『自伝』にあります。福澤は明治維新以来、目標としてきたのは「西洋文明」でした。そのため、彼はしきりに人心の自立を説いてきた訳です。ところが、目覚めさせられた人びとは、やがて福澤の立場を追い越し、政府に対して反抗する権利さえあると主張するようになるのです。

 そのことは例えば、佐倉惣五郎をめぐる福澤諭吉と自由民権運動家たちの評価の違いにもよく現れています。福澤にとって惣五郎は、「正しい道理を守って身を捨てた人」として、理想の人物と目されました。一方、民権家にとっては、《なまぬるい》と思われるようになってきます。農民に代わってではなく、農民と共に立ち上がる人、身を捨てるのではなく、生き抜いて闘う人、それこそが、民権家にとって理想の人物なのです。三田演説会や明六社演説会で自由民権運動に導かれていった植木枝盛は、惣五郎を民権家でなく《民情家》だと言っています。こういう傾向は、福澤にとって危ないことと思えたに違いありません。彼にとって明治維新は、文明化への道を打ち出した大きな変革でした。したがって、その維新の成果を守ってゆこうとする福澤の姿勢は、やがて維新ののち、日本の近代化を押し進めていく明治政府を支持する立場へと連なっていきます。民権は国権のためとした福澤の政府寄りへと言説の変貌は、池田氏も指摘するところです。福澤の説く「内安外競」(国内を平和にして外国と競争する思想)は、『時事新報』発刊の必要性を促し、官民調和論がその後の福澤の立場となりました。

 以上のように民権派のひとりと目されていた福澤諭吉が、中立の立場を採ったことは、多くの人々にショックを与えたことでしょう。そうしてこののち福澤の書くものは、若者たちよりは、どちらかといえば、中年以上の人々に読まれてゆくことになります。物事を変えてゆこうとする展望を失ったとき、いかに福澤という有名人であったとしても、若者たちの心を捉えることは、もう難しくなってゆくのです。時代が福澤と距離をとり始めるのが、自由民権運動のそれも士族だけではなく農民や町民、博徒などに運動の広がりを見せる頃からということは、とても意味深長だと思われます。

さて藤野塁さんの池田氏の福澤論の二回目が、どのようなレポートになるのか、今から楽しみです。みなさんとは、当日リアル・ZOOMでお会いできるのを心より楽しみにしています。ふるってご参加ください。

 

日  時:2024年8月31日(土)14時から17時まで(その後交流会有)

テキスト:池田浩士著『福澤諭吉 幻の国・日本の創生』人文書院

レポート:藤野 塁

会  場:北野宅(阪急今津線「阪神国道駅」下車、徒歩3分)

               西宮市津門大塚町6-6ディアステージ西宮ブライタス508号室