第26回座・読書俱楽部は、山川菊栄の『武家の女性』を取りあげます。山川菊栄といえば女性の人権論の論客として明治末年から大正前期に登場し、山川均の妻として社会主義や労働運動を支え、戦後は労働省の婦人少年局長を務め、婦人運動、婦人労働運動をしたというイメージしかありませんでした。著作に『武家の女性』や『覚書 幕末の水戸藩』があることは知っていましたが、今回取り上げるまで、正直に言ってそれほど重視してはいませんでした。今回、取り上げることによって、1940年代前半の菊栄の生活や興味の赴くところや柳田國男との関わりなど、かなり面白いことがわかってきました。この辺りのことは、レポートを担当する藤野塁さんが、恐らく丁寧にお話しくださるでしょうから、ここでは詳らかにはしないでおきます。(当日配布する関口すみ子女史の資料有)

 

 『武家の女性』(1943年・三国書房)とならんで『おんな二代の記』(1956年・日本評論新社)という著作があります。『おんな二代の記』は、菊栄の母・千世の人生と菊栄自身の半生を「おんな二代」の歴史を通して、明治・大正・昭和(敗戦直後まで)という時代を物語ったものです。『武家の女性』の関心は、千世・菊栄の前の世代の人々、すなわち、“幕末の水戸藩”の武家及びその周辺の女性に向けられています。これを男性にまで広げ「幕末の水戸」を描いたのが、『覚書 幕末の水戸藩』(1974年・岩波書店)です。猶『わが住む村』(1943年・三国書房)にも、幕末維新を相模国村岡村で経験した人々の声が記されています。ここでは『おんな二代の記』(東洋文庫)に収録されている短いものを少しだけ紹介します。

 

 「私の会ったアジアの女性たち」という章の中に、「同級生の印象」なる話があり、そこに日本女子大第二代校長、麻生正蔵(1919.4~1931.4)の話が出てきます。麻生氏は、「独立万歳」のデモ(日本統治下の朝鮮で起きた「三・一独立運動」)に参加し入獄までした女性なら進んで教育するに値するだろうと、積極的に受け入れ、留学問題の困難な状況下、独自の見識をもってその任にあたり、韓国の先駆的女性に道を開いたとあります。そのころは他の女子専門学校の校長にそういう勇気のある人はいなかっただろうと。また大正末期、女子大にはじめて社会事業学部を新設して婦人のために社会科学の新しい世界と新しい職業の分野を開いたのも、麻生校長だったとあります。それまでの女子教育は依然として国文学、英文学、家政科の狭い範囲に留まっていました。20年後、菊栄が労働省の婦人少年局に赴任すると、この学部の一期生(1926年卒業)を優秀な友人として数人迎えることができたとあります。教育は一粒の麦だなとつくづく感じさせられます。

 

 それから「大震災と『天譴』」という章の中に、関東大震災の時の朝鮮人暴動の流言飛語のからくり、軍と警察の軋轢、甘粕の大杉夫妻、橘宗一暗殺を軍の同僚はどう観ていたかなど、面白い話が載っています。最後になりますが、こんな一文があったので紹介して終わります。関東大震災があったのは、大正12年(1923年)9月1日です。

 

 「9月2日に内閣が変って山本権兵衛海軍大将が首相となり、司法は平沼騏一郎、陸軍は田中義一、内務は後藤新平となりました。戒厳司令官福田雅太郎大将は、この際社会主義者をみな殺しにしようと提議し、平沼法相、後藤内相がいやしくも法治国で政府のとるべき手段でないと反対し、田中陸相は長閥の出身、福田大将は薩閥であるところから、これまた反対をとなえ、大杉夫婦や平沢一派の虐殺に留まったそうです。」

 

 

日  時:2026年5月30日(土)14時~17時

テキスト:『武家の女性』山川菊栄著 岩波文庫

レポート:藤野塁

会  場:北野宅 北野宅(阪急今津線「阪神国道駅」下車、徒歩3分)