第15回「座・読書倶楽部」は、池田浩士著『福澤諭吉 幻の国・日本の創生』人文書院を取り上げます。レポーターである藤野塁さんの提案で、このテキストを二回に分けて取り組みたいとのこと。よって第15回、第16回は、藤野さんのレポートで、池田浩士さんの福澤諭吉を読むことになります。どうかみなさんにもこの点、ご了承いただきたく、冒頭お断りさせていただきました。

 福澤諭吉は、1901年(明治34年)2月3日午後10時15分、慶應義塾構内の自邸で亡くなりました。2月6日の『萬朝報』第2645号には、福澤諭吉を追悼する文章が掲載されました。「巨人に二様あり、…」で始まる「平凡の巨人」と題する幸徳秋水による文章です。この中で秋水は、巨人には、「非凡の巨人」と「平凡の巨人」があるといいます。秋水は、かなり言葉を尽くし丁寧に説明していますが、ここでは肝心なところだけ、抜き書きします。例えば、「非凡の巨人は多く軍人政治家に之れ有り、平凡の巨人は稀れに学者、教育者、宗教家に生ず、有史以来、非凡の巨人は多しと雖も、其国家民人に利するや少なく、平凡の巨人は少しと雖も、其社会文明を益する多し」と二様の巨人を比較し定義しています。秋水は「吾人は実に千百の非凡の巨人を出さんよりは、寧ろ一個の平凡の巨人在らんことを欲する也」としています。「而して見よ、維新以来、多くの非凡的巨人を出せりき、木戸や、西郷や、大久保や、岩崎や、皆な是れなりき、平凡の巨人に至つては、果して誰の在る有る乎、吾人は僅に一個の故福澤翁に於て、その髣髴たるを認めしのみ」と。秋水が福澤を評価するところは、福澤の学問や文章より「其人物に在り、平凡の巨人たるに在り、翁や実に其平凡に安んじて、其非凡なるを希はざりき」、つまり非凡である事より、平凡である事に徳行があると秋水はみたのです。「唯だ其徹頭徹尾、平凡なる天職を行ふて屈せざるに在り、平凡なるを本分を儘して撓まざるに在り、非凡なるを希はざるに在り、而して今や此人亡し」と繰り返し福澤諭吉の徳行を繰り返し、死を惜しんでいます。秋水は、非凡なる巨人より「平凡の巨人」を愛し、福澤が「無爵の一平民」にあまんじた生き様に、秋水は「富貴不能淫底の道徳」を観、「威武不能屈底の操守を持して死に至る迄渝らざりし者」として「其一世の師表として、我思想界大革新の偉功を奏せる」としたのです。なかなかの名分です。

1901年(明治34年)2月8日、府下大崎本願寺内(現在、品川区上大崎1丁目常光寺内)の墓地に葬られ、法名は大観院獨立自尊居士だといいます。法名にも独立自尊と刻まれていたのにはいやはや驚きでした。いや、さもありなんですかね。幸徳秋水は、『萬朝報』に「修身要領を読む」という文章を寄せています。そこでは、この福澤諭吉が監修した「修身要領」は全て独立自尊を基軸に書かれており、「社会に対する平等調和及び広義公徳を訓戒するに至っては、頗る冷淡に過ぐるを覚ふ」とし、「個人が社会全般の福利増進の為に犠牲となるの、本分、責務、徳義たるを説く事なし」と不満を述べています。勿論、欧州列強が君主制を脱却し、19世紀の文明を発揚したのは自由主義の賜物であり、そして福澤の独立自尊によって、今日、我が国に個人の自由主義を伝え一代の思想を改革した功績は認めています。が、「独立自尊、個人自由の主義は直ちに不徳なる利己主義となり、厭ふべき弱肉強食とならずんばあらず」と秋水はいっています。ここには二人の人間観の違い、時代感覚の違いが出ているように思われます。「修身要領」がどんなものかも説明もせず、乱暴に過ぎたかもしれません。

 さて、私はこれまで福澤諭吉の良き読者ではありませんでした。よって、レポートの日までには、福澤の遺した代表的なものぐらいには目を通しておきたいと思っています。藤野塁さんが、どのようなレポートをしてくれるのか、今から楽しみです。みなさんに当日リアル・ZOOMでお会いできるのを心より楽しみにしております。

              記

日  時:2024年6月29日(土)14時から17時まで(その後交流会有)

テキスト:池田浩士著『福澤諭吉 幻の国・日本の創生』人文書院

レポート:藤野 塁

会  場:北野宅(阪急今津線「阪神国道駅」下車、徒歩3分)