部屋に鞄を置いて身軽になると目的地をどことは決めずに、まずは街を見て歩くことにした。私は旅先ではできるだけ歩くことにしている。まず、自分の足で歩いてみると街の大きさが自分の体を通してわかってくる。少し歩いた後に、歩いた経路を地図で確認すると目的地までの距離感がおおよそわかる。ここまでは徒歩で行けるな、しかしこっちは徒歩では無理だななど。
ホテルを出るとすぐそこはパリの中心にあるチュイルリー庭園の緑が見える。ニューヨークならばさながらセントラルパークといったところだろうか。チュイルリー庭園の大きさはセントラルパークに比べればずっと小さいはずだが、都会のオアシスということではどちらも同じだろう。
チュイルリー庭園は、シャルル・ド・ゴール広場の凱旋門からシャンゼリゼ通り、コンコルド広場、そしてルーヴル美術館があるルーヴル宮をつなぐ一直線上に位置している。
元々は、1563年、王太后カトリーヌ・ド・メディシスがチュイルリー宮殿とイタリア式庭園を作らせた場所であり、それを後に、ヴェルサイユ宮殿の造園で知られるル・ノートルが、シンメトリーと幾何学模様が特徴のフランス式庭園に整備した。宮殿は1871年のパリ・コミューンで焼失したが、庭園はほぼそのまま残っている。
庭園内に入ると大きな噴水があり、その周りにはたくさんの椅子が噴水を囲むように置かれている。椅子に腰掛けて楽しそうに語らう人々や日向ぼっこをする人、読書をする人、皆が思い思いの時間を過ごしているように見える。
このチュイルリー庭園以外でもパリの街中を歩いていると、ふいに現れた小さな公園や木陰にあるベンチで読書をする人の姿を見かけることがあった。そういう人を見かけるとパリの街がより魅力的に映ることがあった。
日本のホテルのように入り口があってそこを入るとフロントがあるというイメージしか持っていなかったので、まさか扉が閉まっていて横にあるインターホンを鳴らして扉を開けてもらうという仕組みとは想像もしていなかったので、最初はなかなかホテルが見つからなかった。日本であればホテルは見ればわかるのだが、私が選んだホテルの扉は個人宅のような白い扉で外からはホテルとはわからない。扉の近くにかかれたホテル名を発見したときは、思わずわからないよと日本語で文句から出ていた。
インターホンも通じているのかいないのかわからない。扉を開けてもらったが開け方がまた日本とは異なりなかなか開けることができず、結局ホテルの人が出てきてくれて開けてくれた。敷地に入るとよく映画などでみるような中庭があったのは素敵だなと思った。建物の2階が受付になっているようなのだが階段が真っ暗で電気がついていない。ふと横を見ると貨物用のエレベータのようなものが見えた。しかし貨物用で人が乗るものではないと思えたので、仕方がないので手探りで真っ暗な階段をなんとか上がって受付に辿りついた。
受付を済ませてキーをもらって部屋へ向かった。最上階だというから期待したがなんのことはない天井が斜めになった屋根裏部屋だった。確か日本で予約したときは窓から中庭が見えるような明るい写真だったような気がしたのだが。子供の頃に夢見た隠れ家のようだなと思うことにした。短い滞在だったが住めば都とはよく言ったものでなかなか快適であった。屋根裏の小さな窓の隙間から見えるとなりの建物の女神のレリーフがパリにいるんだなと実感をさせてくれるのがよかった。
そして後でわかったのだが、荷物用のエレベーターだと思っていたものはれっきとした人が乗るエレベーターだったのだ。そのエレベーターに乗るひとを見かけてわかったのだが、エレベーターに乗ってから鉄のカーテンのようなものを自分で閉めてはじめてエレベーターが動くタイプの年代ものだったのだ。古い映画などで見たことがあるが実際にまだ使われているとは驚きだった。広さはふたりが乗ればいっぱいになるような小さなものだった。いつから使われているかわからなかったが今までたくさんの人を乗せながら、フランスの歴史を見てきたと思うとこれからもまだまだ現役でがんばってくださいねと声を掛けたくなるような雰囲気がそのエレベーターにはあった。