大乗経は釈尊の本意では無いとする仏教学者が多数いる。
所謂、大乗非仏説(大乗経は仏説に非ず)だ。
いつも指摘している矛盾は
「もし、全ての衆生が成仏すると世界から衆生がいなくなる」
これは、有無の世界観であり、有無を否定した釈尊の根本的な教えに反している。
有無を否定して、空を示したの教えの究極は「無の世界」となる。
もう一つあげると、
仏法を説き衆生を悟りへと導くなどの善業は、釈尊は悟っているため果報がない、としている。
つまり、「我」に執着が無い人にとっては、業因となり、業果とはならない、らしい。
そうすると、悟りを得た人は、人を殺しても悪果がない、となってしまう。
悟りを得た人は他人を害さない?
そうであっても、理論的には悪果とはならないか。
また、どのような理論なのか?
少しややこしいが、仏が他に影響を与えても、仏の業とならないのであれば、因縁よる「我」ではなく、独立した「我」を想定している事にならないのか?