阿含経が釈尊の本意と信じる学者の矛盾 | kitani1のブログ

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大乗経は釈尊の本意では無いとする仏教学者が多数いる。

所謂、大乗非仏説(大乗経は仏説に非ず)だ。

いつも指摘している矛盾は

「もし、全ての衆生が成仏すると世界から衆生がいなくなる」

これは、有無の世界観であり、有無を否定した釈尊の根本的な教えに反している。

有無を否定して、空を示したの教えの究極は「無の世界」となる。

 

もう一つあげると、

仏法を説き衆生を悟りへと導くなどの善業は、釈尊は悟っているため果報がない、としている。

つまり、「我」に執着が無い人にとっては、業因となり、業果とはならない、らしい。

そうすると、悟りを得た人は、人を殺しても悪果がない、となってしまう。

悟りを得た人は他人を害さない?

そうであっても、理論的には悪果とはならないか。

また、どのような理論なのか?

 

少しややこしいが、仏が他に影響を与えても、仏の業とならないのであれば、因縁よる「我」ではなく、独立した「我」を想定している事にならないのか?