仏教入門Ⅱ-2(法華経への擬難に答える) 久遠実成は法身の久遠を説いる? | kitani1のブログ

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法華経如来寿量品に久遠実成が説かれている。

即ち、釈尊の成道は五百塵点劫という昔に成道していた、と説かれている。

この成道を法身の久遠を説いているという人たちがいる。

 

法華経は法身・報身・応身の三身で考える。

法身は、真理を体現した仏。

報身は、修行の報いとして成道した仏。

応身は、仏法を説く肉体を持った仏。

となっている。

(学者によっては、法身と応身の二身で話をしていることもあるので注意が必要だ)

 

天台大師は

「境について法身となし、智について報身となし、起用について応身なす」(摩果止観)

としている。

 

釈尊は、寿量品において「久遠の昔より、何度も肉体を持った凡夫として、誕生して、修行して、成道して、仏法を説いて、涅槃した」と説いた。

これは法身ではない。

報身であり、応身の姿だ。つまり、報身・応身の久遠を説いた事になる。

 

法身の久遠は、迹門の多宝如来の姿で示している。遠い昔より肉身を持たずに法華経が説かれるとき出現して、真実である事を証明する。

これは法身の久遠を説いたといえる。