顕正会浅井会長の二枚舌を並べてみる | kitani1のブログ

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【浅井の二枚舌】
殺生より罪深いのが嘘であると大聖人は説かれる。
「五戒を破る中に不妄語戒を破るは罪深き戒にて候。其の故は世間の人妄語し候へば、冬は夏になり、春は秋になり候。故に冬温かにして草木出生して花さき菓ならず。夏はさむくて物そだたず。春・秋も此を以て知るべし」戒法門14
(春と秋と間違えると作物が育たず飢えることになる)


二枚舌はどちらかが嘘であるか、あるいはどちらも嘘であるかである。

「五戒を破る中に不妄語戒を破るは罪深き戒にて候」
そんな浅井先生の指導に従ってよいのか。と、問おう。


○事の戒壇
「事の戒壇とは、広宣流布の暁に事相に立てられる国立戒壇である。
また、義の戒壇とは、広宣流布以前に戒壇の大御本尊まします所である」
「日蓮大聖人の仏法」126 

顕正の邪義36(暁鐘編集室出版「顕正会の悪義を破す」のページ。詳しくはそちらを参照してください)

「細井管長は〝戒壇の大御本尊まします処はいつでも事の戒壇〟といい出された。これでは御遺命の戒壇がぼけて、わからなくなってしまうではないか。明らかに為にする己義と云わなければならない」顕正新聞457号 顕正会の邪義36
   ⇔
「従って、曽つての御宝蔵も、また現在の奉安殿も「事の戒壇」であり、将来正本堂にお遷り遊ばせば同じく「事の戒壇」であるとの御意であられる」
「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」 顕正の邪義42
と戒壇の大御本尊まします処「事の戒壇」である事に否定はない。

○事の戒壇2
「時は昭和四十二年二月二十六日、正本堂建設委員会において同上人(日達上人)は、正本堂が御遺命の戒壇に当る旨の説法をされたのである」冨士昭和五十二年八月号
 顕正の邪義52
   ⇔
実際の御説法
「大御本尊のおわします堂がそのまま戒壇であります。(略)ただし末法の今日、まだ謗法の人が多いので、広宣流布の暁を待って公開申し上げるのであります」
大日蓮昭和四十年三月号 顕正の邪義46

「少なくとも、管長猊下は一言も正本堂を御遺命の『事の戒壇』などと云われず」
 冨士昭和六十一年八月号「顕正会・試練と忍従の歴史」 顕正の邪義52

○内拝
「直ちに濫りの御開扉を中止し、近き広布のその日まで、日興上人、日目上人の御心のまま、もっぱら秘蔵厳護し奉るべきである」最後に申すべき事 顕正の邪義60
   ⇔
「今私共は、宿縁深厚にして時至らざるに内拝を賜ることは、幸いこれに過ぐるものはありません」冨士昭和四十六年九月号 顕正の邪義61

○相承
「細井管長は御相承を『授ける』ことができず、阿部管長また御遺命違背の科によって『受ける』ことができなかった」顕正新聞平成十一年四月二十五日号
顕正の邪義74
   ⇔
「かくて日道上人・日行上人・日時上人・日阿上人・日影上人・日有上人と、『本門戒壇の大御本尊』を付嘱の法体として代を重ねること六十七、清浄の法水はいささかも断絶することなく今日の至っている」冨士昭和六十一年十一月号 顕正の邪義75

「血脈が断絶するようなことは断じてあり得ない」学会・宗門抗争の根本原因
顕正の邪義75
等々

○五座三座の勤行
「けっして現在のいわゆる『五座の勤行』ではないでしょう。(中略)五座の形はあり得ない」勤行御観念文について平成十年五月十五日 顕正の邪義80
   ⇔
「何より仏道修行の基本は五座・三座の勤行である」組長訓 昭和四十年
顕正の邪義80

寿量品長行を唱える意義
寿量品長行(じょうごう)には「下種の三千は但文底に在る」六巻抄26
「問う、何れの文底に在るとせんや」26
「答う、(中略)師の曰く『本因初住の文底に久遠名字の妙法・事の一念三千を秘沈し給えり』六巻抄28
本因を示す文とは
「「是れ則ち本因本果の法門」とは此に深秘の相伝有り、所謂文上・文底なり。今は且く文上に約して以て此の文を消せん。本因は即ち是れ無始の九界なり、故に経に云わく「我本菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず」等云々」六巻抄25
つまり、「我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数」の文の底に「事の一念三千」が秘沈されている。 
長行を読まないならどこに御本尊の意義が秘められているかたずねよう。