日蓮大聖人は念仏等の僧の頚をはねよとしている? | kitani1のブログ

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次の御文によって日蓮大聖人が念仏宗等の僧侶の頚をはねよとされたと非難がある。

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高橋入道殿御返事886
而も去年の二月に御勘気をゆりて、三月の十三日に佐渡の国を立ち、同月の二十六日にかまくらに入り、同じき四月の八日、平さえもの尉にあひたりし時、やうやうの事どもといし中に、蒙古国はいつよすべきと申せしかば、今年よすべし。

それにとて日蓮はなして日本国にたすくべき者一人もなし。たすからんとをもわしたまうならば、日本国の念仏者と禅と律僧等の頚を切ってゆいのはまにかくべし。

それも今はすぎぬ。

但し皆人のをもひて候は、日蓮をば念仏師と禅と律をそしるとをもいて候。
これは物のかずにてかずならず。

真言宗と申す宗がうるわしき日本国の大いなる呪咀の悪法なり。弘法大師と慈覚大師、此の事にまどいて此の国を亡ぼさんとするなり。設ひ二年三年にやぶるべき国なりとも、真言師にいのらする程ならば、一年半年に此の国にせめらるべしと申しきかせ候ひき。
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日蓮大聖人が「念仏・禅・律の僧の頚をはねよ」としたとよく非難に使われる文だ。
ここに示される会話は、日蓮大聖人と平左衛門尉が竜口の法難後に始めて対面した時のものだ。平左衛門尉「蒙古はいつ攻めてくるのか」
日蓮大聖人が「今年だ」と答えられた後、
簡略に示すと
イ「念仏者・禅と律僧等の頚を切って由比の浜に並べよ」
ロ「それはもう過去のことだ」
ハ「あなた方は、念仏師と禅と律を非難するように思っているだろうけれど、これはたいしたものではない」
ニ「真言宗こそ、うるわしき日本国の大いなる呪詛の悪法だ」

ロからイは、竜口の法難の時の言葉をなぞったと考えられる。

私の頚を切るべきでなく、切るべきは念仏等の僧だ、とされた。

 

竜口の法難は

祈雨の対決にまけた念仏・禅・律の僧による画策とされている。

忍性房良観は祈雨に負けたなら、大聖人の弟子になると約束をしていたが、約束を守るどころか逆ギレした形だ。

 

ちなみに、大石寺に祈雨の対決に雨が降らず勝った日蓮大聖人が、勝負後に祈雨された三具足が残っていて、お虫払い法要では客殿中央に置かれる。