ある正信会僧侶の主張「御開扉でなく、本来は遙拝勤行だ」 | kitani1のブログ

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以前も書いたことがあるが、ある正信会僧侶の主張である「遙拝勤行」について。

奉安堂での「内拝」ではなく、「遙拝」が本来の姿である、と主張。

このときの会話を再現してみる。

 

正信会「本来は遙拝勤行だ」

私「日寛上人は、登山して拝し給え、とされる」

(日寛上人、寿量品談義には、「本門の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則は本門の題目なり。志有らん人は登山して拝したまへ」)

 

正信会「それは外で遙拝を勧めている」

私「三大秘法抄には、すべての衆生が踏み給うべき戒壇、踏むには中に入らなければならない」

(三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり)

 

正信会「それは広宣流布の暁のことだ」

私「それだと、釈迦仏教がまだ利益がある事になる。なぜなら、この戒壇建立の後に益がなくなると三大秘法抄にある」

(此の戒法立ちて後、延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじき)

正信会「特別の時だけでいいじゃないか」と「本来は遙拝」から外れる。