我本行菩薩道とは? | kitani1のブログ

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法華経寿量品に「我本行菩薩道」とある。

釈尊の「久遠実成」を明らかにした部分である。

 

法華経見宝塔品にも「其仏本行菩薩道」とある。

 

見宝塔品は「法身の久遠」を示している。

寿量品は「報身の久遠」を示している。

 

どこが違うかと言えば、

寿量品は「我本行菩薩道 所成寿命 今猶未尽 復倍上数」と続く。

簡単にすれば、

「我、もと菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命、今なお未だ尽きず。また上(かみ)の数に倍せり」

これを示した寿量品の仏(釈尊)は肉身を持っている。

見宝塔品の仏は「多宝仏」であり、肉身を持っていない。

 

報身仏とは菩薩の修行の結果、報いとして、智慧を得た仏だ。

寿量品では、その報いとしての智慧は「今なお未だ尽きず」と読める。

また、肉身を持っている応身仏として、智慧を説いている。応身の仏ともいえる。

 

と考えている。

 

一般には寿量品は法身の久遠を説いたと考えられている。

しかし、法身では肉身を持っている事の説明がきちんとできない。