顕正会の人、なぜか女性ばかりと6人3組と話をしてきた。
顕正会の人は、相手の話を聞かない傾向にあるようだ。
つまり、自分たちの主張だけを一方的にして、主張が通らなければ席を立つ。
私は先ず相手の話を聞いて、主張の間違いを指摘する事が多い。
顕正会員とはこのやり方だと一方的なやりとりになる。専守防衛の日本国みたいで相手を懲らしめる事ができない。
経験則から、先ずこちらから相手の矛盾を突いていく方がよいようだ。
【僧侶への誹謗は謗法】
真言見聞608
「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」
四恩抄268
「次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によりて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」
一谷入道女房御書831
「日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持たざらん者をば御用ひあるべからず」
法華初心成仏抄1314
「よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し、国土の大難をも払ふべき者なり」
新池御書1457
「皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が、中程は信心もよはく、僧をも恭敬せず、供養をもなさず、自慢して悪見をなす。これ恐るべし、恐るべし」
新池御書1461
「末代の衆生は法門を少分をこゝろえ、僧をあなづり、法をいるがせにして悪道におつべしと説き給へり。法をこゝろえたるしるしには、僧を敬ひ、法をあがめ、仏を供養すべし」
産湯相承事1710
「若し日蓮が現在の弟子並びに未来の弟子等の中にも、日文字を名乗りの上の字に置かずんば、自然の法罰を蒙ると知るべし。予が一期の功徳は日文字に留め置くと御説法ありし儘、日興謹みて之を記し奉りしなり」
【僧侶なしの指導体制は謗法】
佐渡国法華講衆御返事 日興上人
「この法門は、師弟子をたゞして仏になり候。師弟子だにもちがい候へば、おなじ法華をたもちまいらせて候へども、無間地獄におち候。(中略)案のごとく聖人の御のちも、末の弟子どもが、これは聖人の直の御弟子と申す輩多く候。これが大謗法にて候なり」