顕正会の言う国家とは?、国主とは?、王法とは?、戒壇建立は? | kitani1のブログ

kitani1のブログ

ブログの説明を入力します。

顕正会の定義は知らないが、

一般には

国家とは「領土と国民」あるいは「国家権力」的に使われているようだ。

国主とは「国を支配する人」「国の方向性を決める人」かな。

王法とは「王が定めるきまり」あるいは「王がとるべき道」かな。

 

顕正会員と話をする時「国家」「国主」「王法」について多少の予備知識を持って、

「国家とは?」「国主とは?」「王法とは?」と質問してみよう。特にその場で否定する必要はないと思うが、後に矛盾が出てくるのではないかと考えている。そのうち具体的な報告ができる、と思っている。

 

三大秘法抄には

「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か」

 

一期弘法書には

「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」とある。「御教書」等はない。

 

三大秘法抄では、王法(王の定めや王がとるべき道)がこの仏法に帰伏したとき戒壇建立とある。

一期弘法書では、国主が帰伏したとき戒壇建立。

 

三大秘法抄に「勅宣」「御教書」とあるが、延暦寺の戒壇では「勅許」であった。ここは国のあり方によって、変わることになる。

もう少し付け加えると三大秘法抄では「戒壇を建立すべき者か」と最後に「か」を付け加えられている。つまり、断定されていない。

 

「相州(執権北条氏)は謗法の人ならぬ上、文武きはめ尽くせし人なれば、天許して国主となす」下山御消息1149

「(謀叛者として頼朝等を上がられ)王法(天皇?)既に尽きぬ」秋元御書1449

 

これからすると、日蓮大聖人は国主・王法は時代によって変わると考えておられたようだ。