顕正会の会長浅井氏は、以前、「事の戒壇は天母山に立つべし」(『冨士』昭和五十年三月)と言っていた。
「富士山の西南に山あり。名をば天生山と号す。此の上において本門事の本堂・御影堂建立し、岩本坂において仁王門を建て、六万坊を建立したもうべき時、彼の山において戒壇院を建立」という京都要法寺日辰の説と同じだ。
「あの狭い天母山に、六万の坊をどうやって建てるのだ」との指摘に静かに引っ込めたようだ。
現在は「天生ヵ原」に変えている。
「天生ヵ原」は大石寺周辺としているようだ。しかし、日蓮正宗の古来の言葉ではないようだ。
注)天母山とは大石寺の近くある小さな山