日蓮大聖人は三大秘法という言葉はほとんど使われていない。
三大秘法抄で少し積極的に示されただけである。
その三大秘法抄にも、
「一見の後は秘して他見有るべからず、口外も詮無し」1595
と極めて慎重であられる。
従って、日興上人が十大部とされる日蓮大聖人の御書にも、三大秘法抄は名目が上がっていない。つまり、三大秘法抄は秘書であった。
戒壇の大御本尊については、名前すら示されていない。
六巻抄で、事の戒壇と義の戒壇がある事が始めてわかったのではないだろうか。その六巻抄も江戸時代は秘書扱いであった。
戒壇の大御本尊を秘密にされたのは、一つには大御本尊をお守りするために都合がよいためと考える。
戒壇の大御本尊が世間に認知された後は、事の戒壇を明確にしてもよいと日達上人は考えられたのだと思う。
現在では事の戒壇にも、三大秘法抄が示す広宣流布の暁の戒壇堂と、現時点の戒壇堂がある事となる。広宣流布の暁には、また新しく建立して「蔵造り」ではなく、本堂と言えるものとなるだろう。