顕正会用に僧の恩の文証を示す | kitani1のブログ

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立正安国論 247
頭を剃り架裟を著せば持戒及び毀戒をも、天人彼を供養すべし。則ち為れ我を供養するなり。是我が子なり。若し彼を?打すること有れば則ち為れ我が子を打つなり。若し彼を罵辱せば則ち為れ我を毀辱するなり。

 

四恩抄268
僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によりて住す。…
仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。

 

得受職人功徳法門抄594
我が弟子等の中にも「未得謂得未証謂証」の輩有って、出仮利生の僧を軽毀せん。此の人の罪報具に聞くべし。今時の念仏・真言・律等の大慢謗法・一闡提等より勝れたること百千万倍ならん。

 

真言見聞608

凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。

 

一谷入道女房御書831
日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持たざらん者をば御用ひあるべからず

 

 法華初心成仏抄1314
よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し、国土の大難をも払ふべき者なり

 

新池御書1457
皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が、中程は信心もよはく、僧をも恭敬せず、供養をもなさず、自慢して悪見をなす。これ恐るべし、恐るべし。


新池御書1461
末代の衆生は法門を少分をこゝろえ、僧をあなづり、法をいるがせにして悪道におつべしと説き給へり。法をこゝろえたるしるしには、僧を敬ひ、法をあがめ、仏を供養すべし。

 

産湯相承事1710

若し日蓮が現在の弟子並びに未来の弟子等の中にも、日文字を名乗りの上の字に置かずんば、自然の法罰を蒙ると知るべし。予が一期の功徳は日文字に留め置くと御説法ありし儘、日興謹みて之を記し奉りしなり。

 

佐渡国法華講衆御返事 日興上人
この法門は、師弟子をたゞして仏になり候。師弟子だにもちがい候へば、おなじ法華をたもちまいらせて候へども、無間地獄におち候。(中略)案のごとく聖人の御のちも、末の弟子どもが、これは聖人の直の御弟子と申す輩多く候。これが大謗法にて候なり