顕正会の女性と対論してきた。
「事の戒法」について、三大秘法抄に
「此の戒法立ちて後、延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじき処」1595
とあることから、今では迹門の理戒は益はない事を確認すると、
顕「ない」
私「そうすると「事の戒法」は存在することになるのでは?」
顕「此の戒法は義の戒壇だ」
私「どこに書いてあるの?」
顕「それでも此の戒法は義だ」
やはりちゃんと読もうとする謙虚さがない。
(参考)
「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。『事の戒法』と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり。『此の戒法』立ちて後、延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじき処」三大秘法抄1595
日相上人「三大秘法の筆録(日寛上人)」
(前略)
本門戒壇
・在々處々本尊安置之處ハ理ノ戒旦也
・富士山戒旦ノ之御本尊御在所ハ事ノ戒也
三大秘法ノ姿如(レ)是可得意也
これを顕正会女性は「三大秘法は三大秘法抄」と読むと勝手に付け加える。全く
守護国家論「小し自義に違ふ文有れば理を曲げて会通を構へ、以て自身の義に叶はしむ」127
の通りである。
「勝手に読み替えて、ニセ本尊増やしたらダメだよ」
と言っておいた。