感情に訴えることに巧みな人物らしい。
さしあたり「他化自在天(第六天)の魔」と言えるかもしれない。
人を操ることうまいと感じた。
ただ、証拠に挙げる文章をわざと違った表現にするのはいただけない。
「日本国の三分の一が入信したときこそ広宣流布したといえる。その時には、我が大石寺を、大聖人の御遺命の富士山本門寺と改称する」
427と日達上人が仰ったとしている。
しかし、「純真な、しかも確実な信心をもって本門の題目を異口同音に唱えたてまつることができたとき、そのときこそ日本国一国は広宣流布したと申し上げるべきことであると、思うのであります」と「純真な確実な」を抜かしている。日達上人はその後に、「そのときは僧侶の指導者たちが集まって、相談して改称することもありうる」と断定されていない。
適当に変えられる人物は信用しがたい。
本全体何を信用して良いのかわからない。
また、日興跡条条事「弘安二年の大御本尊日目に之を授与す」268としているが「日目に之を相伝す」1886が正しい。
御文も注意がいる。
法華取要抄文段の引用もおかしい。
「義理の戒壇とは、本門の本尊所住の処、即ち義理・(正しくは「、」542)事の戒壇に当たるなり」333
「本門の本尊所住の処には、義と事がある」と読めるが、これも含めて義の戒壇と読んでいるようだ。
以前にも書いたが、僧への恩が書かれていない。
とりあえず、すべて疑って読む必要がありそうだ。