パンフ 大乗非仏説 | kitani1のブログ

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大乗非仏説


 仏教入門書に、「原始仏教」という言葉をよく見かける。「釈尊の本当の言葉は小乗経にある」という学者の考えらしい。この考え方は、大乗非仏説(大乗は仏説に非ず)から来ているようだ。大乗経が仏説(釈尊の教え)でないとする考え方は、釈尊の御化導の根本を知らないことによるものである。自分の狭い知識や浅はかな知恵を信じているために起こっている。さらに最近では、正しく経典が読めず、輪廻を否定する仏教学者さえ多く存在している。


 大乗経が仏説でないとする学者の根拠は、次の五つである。

 ①釈尊が説いたというには言葉が新しすぎる。

 ②大乗教の論(解説)に、アショカ王による結集(経典を集める事)の様子がないため、結集以降作られた。

 ③初期の小乗教の論に大乗教の批判等がない。これは小乗経が広まったときには、大乗経は成立していなかった。

 ④文献として登場するのが、釈尊滅後かなり経ってからだ。

 ⑤小乗経典より後に文字化された。




①については、口伝では正しく伝わるように、その時代にあった理解しやすい言葉にかえることが普通である。

②については、すでに小乗教の論にようすを示す伝記があるから、必要がなかったと考えられる。

③については、大乗経派と小乗経派とが、すべて対立関係と考える学者の過ちだ。②についても同じ事が言える。当時、新興宗教である仏教にとっては、外道にあい対することが大きな課題であり、協力していたと考える方が筋が通る。

④⑤については、曹洞宗の開祖道元の伝記「建撕(けんぜい)記」ですら、二百年後につくられた。大聖人の伝記も、日蓮正宗のものを除くと二百年後である。口伝は、時間がたってから文字化されるものであることが分かる。また、釈尊の弟子は口伝で伝えるべきと考えていたので文字化の発想は当初なかった。また、経典の内容が深いため、文字化するためには時間をかけ、慎重に行う方が賢明とも言える。当初、口伝としたのは仏様の智慧と言えよう。釈尊滅後千年経ってインドへ向かった法顕は、文字ではなく専ら口伝であったと伝えている。

 また、大乗経典を先に文字化すると小乗経に大乗教を付け加える輩も出る事も予想できる。

その他

 南伝仏教に大乗経典がない事も疑問に思っているようだ。しかし、キリスト教の歴史を見れば、以前にはあった地動説は無視されている。声の大きい人がいればかき消される。




これらを例えると、

 いつもは質素なAさんが、あるパーティーにすばらしい宝石とすばらしい服装をしてきたことに、「その宝石や衣装はどうしたのか。」と疑問に思い、「泥棒をはたらいたのか」「誰かに借りたのか」と自分勝手な考えをするようなものだ。必要に応じるという考えがない事に似ている。




 釈尊の心が、小乗教にないことは、五十年の弘教の姿と小乗教と一致しないことから明らかであり、内容の深さからも小乗経に囚われていて真理が分からなくなる。大乗非仏説の過ちは、文献学が中心であり、教えを中心に考えていないことが原因である。数学の証明のような精緻で論理的な検証からすれば、大乗非仏説は、何ら証明されていない。仏教学者は論理的な証明方法すら知らないのではと疑いたくなる。所詮、大乗非仏説は学者の感想文にすぎない。


 これらの学者は、法華経のように、末法おける上行菩薩(日蓮大聖人)の御出現を予言・的中が、理解できないらしい。さらに疑い深い人のために、上行菩薩の振る舞いさえも予言・的中している。法華経が仏説でないとすると、誰が説いたと言うのか。仏教を正当に伝えた人は誰もが、釈尊の説法であることを疑っていない。


 小乗教は所詮、宇宙法界の表層部分を「諸行無常」と説いるにすぎない。「常楽我常」という深底の教義は説いていない。また、法華経が説く「事の一念三千」「円融三諦」を越える法理は小乗経典にはない。小乗教は表層の教えであるため、自分の智慧で理解しようとする学者には、受け入れやすい教えである。先ずは仏教を弘めることを先とされたと考えられ、当時の出家者、言い直せば、学者が受け入れれば、自然と民衆にも弘まっていく。

 仏教確立の初期は、小乗教が必要であったと考えるべきだろう。小乗経は戒律を重視するため乱れにくく、世情も小乗経を求めていたため、初期はこれを表にし、仏法を弘めたと考えられる。仏典を口伝で弘める中、口唱し、何度も間違いを正しながら、釈尊の真意が伝わるように、口伝していったのだろう。龍樹菩薩は、どの時代にどのような経典を広めるべきかは、凡智ではわからないと言われている。また、涅槃経では釈尊の説いた順序で、教えを弘めなさいと言い遺されている。釈尊の直弟子はそれに従ったと考えるべきである。

 法華経を中心にみていくと、すべての経典は、確かな配列がなされている。学者の偏重した文献主義や浅知識に踊らされてはいけない。




問 釈尊滅後二千年の後の五百年に上行菩薩が出現と言うが現在の歴史学から言えば、日蓮は釈迦滅後、二千年経つ前に生まれている。予言の上行菩薩とは言えないのではないか。




答 法華経には正法・像法時代が過ぎた後の五百年と説かれている。正法を千年とする経典と五百年とする経典二種類がある。女性の出家を受け入れたとき、正法が五百年に短くなったと説かれた。

  末法の始まる年代は、伝教大師が「末法灯明記」において、定められた。その中では正法を五百年とする経典、千年とする経典、どちらもあげられ、当時信じられていた釈尊入滅を示す中国の伝説から、千年とした方を選ばれている。末法到来が近いことを示すために書かれたものであり、当時の常識から判定されただけのことである。現在の知識が当時主流であれば、五百年とされたに違いない。また、歴史は新しい資料が見つかり、事実が大きく変わることはよくある。

  要は、「末法灯明記」は正法時代が過ぎ、像法時代も千年が過ぎようとしていたため、末法の到来をいよいよであることを宣言されたに過ぎない。つまり、確かに末法の時代に日蓮大聖人は御出現されている。