日蓮大聖人の仏法① 日蓮大聖人の予言を否定する学者 | kitani1のブログ

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日蓮大聖人は多くの経典を上げられ、このまま法華経誹謗の宗派が広まっていると他国からせめられると予言された。具体的になったのは蒙古からの国交を希望する書簡だった。


幕府は大慌てで情報を収集しただろう。(事実は知らない)
中国からの僧侶などから蒙古の凄まじさは聞いていたと思われるが、そのすごさを改めて確かめたと考えられる。対応策が見つからなかったのだろう。
(歴史もあまり詳しくない)


日蓮大聖人の予言は経典をひかれての予言だけど、予言の的中は大陸の状況を知っていたと学者はする。確かに多少はご存じだったかもしれない。しかし、時期を限定した予言がある。
二月騒動と蒙古襲来の時期だ。


佐渡国にいる日蓮大聖人は情報があったとするには無理がある。

日蓮大聖人は「流罪の後、百日・一年・三年・七年の契機に罰が現れる」(1057)とされる。武田家の滅亡はちょうど一年後、本能寺の変はちょうど三年後。


日蓮大聖人の配流では、文永8年11月1日に塚原に入られる。その百日後、文永9年2月11日、二月騒動(北条時輔の乱)が起こる。
配流の三年後、文永11年10月5日蒙古襲来。

二月騒動は、文永9年1月16日の塚原問答において予言されている。
蒙古襲来は、文永11年4月8日の鎌倉で、平頼綱に「蒙古襲来は今年である」と答えておられる。


日蓮大聖人が幕府より情報通と学者は考える。なぜか、簡単だ。自分(学者)ができないことは誰もできないという前提、あるいは日蓮大聖人の予言をおとしめたいだけだ。