一念三千③ 人の心の傾向を仏教では十種類の境涯にわける | kitani1のブログ

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十界互倶

これは法華経のみに説かれている法門だ。先ず、十界について簡単に説明すると


始めに、六道と言われている境涯がある。

・地獄界は苦しみにとらわれている境涯
・餓鬼界は欲望にとらわれている境涯
・畜生界は弱肉強食の本能のままに生きる境涯
・修羅界は人を見下そうとする境涯
・人界は落ち着いている境涯
・天界は喜んでいる境涯


  車がほしいと欲にとらわれているのが餓鬼界。無理な借金をして、返済に追い立てられるのが地獄界。お金を貸してくれる人が現れ、一時的に喜んでいることが天界。とりあえず返済してほっとしてるのが人界。お金を貸してくれた人にへつらっているのが畜生界。お金を貸してくれた人に「無理な借金をするからだ。」と諭(さと)され、「余計なお世話だ。」と開き直っているのが修羅界。六種類の境涯は車、借金、お金を貸してくれる人、返済、諭し、などの縁により自分が持っている境涯が現れる。もちろん同じ縁でもその人が本来持っている境涯によって現れる姿は変わる。


  さらに声聞界、縁覚界、菩薩界と修行を重ねる境涯がある。声聞界は仏の言葉に学び、縁覚界は仏の知恵を獲得しようと修行する姿だ。単に学問を勉強することや、何かに打ち込む姿も声聞界、縁覚界と考えられる。菩薩界は人を助ける姿だ。これらも結局縁により、現れる境涯だ。学ぶ本や学問、打ち込むもの、苦しんでいる人に気づいて現れる。そして、悟りを開いた境涯が仏界だ。


それではどのような縁によって仏界に至るのかが問題になる。