仏教で目指すのは当然成仏です。
人の境涯を10種類に区分し、その最高を仏界とします。
下から言えば六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)、二乗(声聞・縁覚)、菩薩・仏となります。
最高位の仏の境涯を仏界と呼び、仏界に至ることを「成仏する」と表現します。
それでは、目指す仏界とはどのようなものなのでしょう。
「悩みのない境涯?」
違うようです。法華経では「少病少悩」とされています。つまり、少しの病気や悩みはあるとされています。
「諸行無常を悟った境涯?」
違うようです。法華経では「能く浄妙第一の楽を生ず」とされ、これば「常住である」とされています。法華経では、本当の仏界は「常楽我浄」(常に浄く、喜びがあふれている)とされています。
この世界を表面的に見れば「諸行無常」のような気がします。また、大変わかりやすく簡単になじむ事ができます。また、小乗経典で多く説かれた教えです。
法華経と小乗経とでは真逆のことが説かれています。
年末に新年の丸まったカレンダーを掛けるとき、どうしますか。逆に巻いたりしませんか。車線を変えるとき、右方向に回ったハンドルをどのように戻しますか。先ずは左に回し、中央に持ってきます。
釈尊はこれと同じように、当時の衆生、特に修行僧に対して、持っていた執着を払うため、極端な教えを先ず説かれたのです。
本来の成仏の姿は「無作三身」とされます。
「無作」とは本来のままということです。「三身」とは報身・応身・法身という仏の境涯をさします。
1 報身は知恵の徳です。因果に基づいたゆがみのない知恵や苦難を乗り越える知恵をもつ境涯です。
2 応身は行動・姿の徳です。因果を知り、必要に応じて自分自身を自由自在に変化できる境涯です。
3 法身は因果に裏付けられた尊厳の徳です。目の当たりに因果を感じ、不動心を持つ境涯です。
すなわち成仏とは、人の悩みや苦しみを理解し、相手にあわせ、悩みや苦しみを取り除く方法を示すことができる何事にも左右されない境涯です。この境涯を目指すことにより、人格も磨かれ、本来の自分の良さを取り戻すことができます。
諸行無常を見直してみてはいかがでしょうか。