大乗非仏説⑨ 初期の小乗教の論に大乗教への批判等がない | kitani1のブログ

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初期の小乗教の論に大乗教への批判等がない。
  これは「大乗教派と小乗教派が対立関係にある」という学者の思い込みから起こっている。


  釈尊は大乗教を胸に秘め、小乗教を先ず弘められた。釈尊滅後の弟子たちは、当然、同様にしたと考えればよい。


【竜樹菩薩も胸に秘めていた】
あの竜樹菩薩は大智度論で「般若経こそ第一の経典だ」としている。しかし、般若経は釈迦の秘密の経典とせず、「法華経こそ秘密の経典だ」としている。
  少し解説すると、般若経は仏の智慧を詳しく解説している点では第一。しかし、「釈尊の本当に伝えたかった経典は法華経である」としている。
  けれど、法華経の解説はしていない。また、法華経の内容に踏み込みすぎる論はない。また、涅槃経も論に用いていない。
{法華経と般若経の違い}

  法華経・涅槃経には般若経にない「具足」の法門が説かれている。いわゆる「開仏知見」「悉有仏性」だ。(大智度論にはまるで「具」を使っていないかと言えば、あてはまる部分もあるようだ。)
{法華経を解説しなかった理由}

  根本は天台大師の出現を待たれたと想像される。つまり、経典を弘めることは、釈尊からの付嘱に依るためと考える。竜樹菩薩は般若経を付嘱され、法華経は天台大師に付嘱されていると考えるべきだ。そのため、竜樹菩薩は法華経は胸に秘め、般若経について説いたと考えられる。
  もちろん、自分の境涯でしか考えられない学者は理解できないし、信じられない事だと思う。だけどそう考えると全てつじつまがあう。


  対立は、大乗教を弘めることが釈尊の本懐と理解できていない出家者が、小乗教派を批判されて、大乗教へ批判を始めた。また、逆のこともあったかもしれない。


【常に対立関係にあったとする必要はない】
  どちらにせよ、当初は共存していたと考えれば、初期の論に批判がないことは、なんの矛盾もない。当時の外道に協力して、対峙する必要もある。現在でも、仏教への批判は宗派を問わず反論している。