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初めての黒星。

ふと、見てみると、広く広がった東京。
これは、まずいと思ったのもつかの間、PK献上。
そのあとなぜか立て続けに失点。

とにかくこういうチームには、通用しないこと、わかっててもできることとできないことがあるわけです。
優勝したければこういうチームにも負けないチームをつくるだけです。

がんばれサンフレッチェ。

トーキョーの季節

あのときは、本当にお世話になりました。
最後の3試合のうち残留が決まっていてタイトルもACLもなかった神戸とF東が
相手でなければ間違いなくJ1残留できていなかったと思うのです。
早ければ神戸で決まってしまう、という重い気持ちを抱えて向かった神戸で勝利し
優勝した時もそうですが、ついていると言えばついているという、なぜそこで
負けてくれるのという周りの皆様のおかげによってホーム最終節まずは勝利すれば
残留を引き寄せることができる、というところまでこぎつけました。

なんとも、気持ちというのは、こういう時に作用するもので、ほんとうにありがたい
ことに、歓喜の中、J1残留を決めることができました。
極端な話ですが、ここでなにもかかってないチームとして奈落の底に落とすような
ことは、できなかったのかもしれません。(そう思ったりもするほど弱かったので)

上位が結構勝っていてくれたおかげで残留ラインもそこまで高くなく通年なら残留
できなかったかもしれない勝ち点で残留、そしてシーズン前の順位予想は、ほとんどの
評論家、解説者が下位3チーム、もしくは、最下位と予想。
優勝3回しながらも世代交代できず落ちぶれたチームにいわくつきの監督、そういう
評価であってもおかしくない、そんな船出でした。


考えてみれば評価は、去年のほうが高かったのです。
どうにもならない残留争いをしているのに「広島なら大丈夫」と言われ続けたのです。
実際、残りはしたものの間近で見ている自分たちからすれば、ほんと、なんにも知らんからと
思うことしかりでした。
「大丈夫」というその言葉の理由は、わかるんです。
もともといい選手たちであり技術が高い選手ばかりなのですから「ちゃんとすれば」
勝てるようになると同業者の目には、映るのです。

しかし、本当の姿は、昨年春のセレッソアウエイで言われた「広島、やばいな」という言葉でした。
いい選手がいるのにできない、という悪循環。できない人ががんばっているなら
監督も言うことを聞かせるだけでいいのですが、スキルがありプライドもある選手が
空回りし始めるとだれの言葉も耳に入らなくなるわけです。
今年のシーズン初め、ひとりひとりと話をした監督が「誰も人のせいにする選手がいなかった」
という記事を読んで、それぞれが背負ってチームになれてなかったんだなと思いました。
(当時、人のせいにしてでもお互いぶつけ合うこともしたほうが、と思ったのも事実)
セレッソはタレント揃いだった年に降格しているだけに、その末路が見えてしまったわけです。

どちらにしろ、できる選手ばかりなので、ハマればうまくいく、という楽観だけはありました。

ということで、せっかくの忖度のお礼ができるかどうか。
メンバーは、変えていくのでしょうが、それでも先々週のFマリノス戦のようにうまい具合に
最後決めてくれるかもしれません。
そういうところ、出させないようにしてくるのか、FCトーキョー。

今夜は、そこの予習をしたいと思います。


 

幸運を。

フランスでは、幸運の相、と言われる、前歯のすきっ歯。
これまで出来限り目立たないように写真へ収まってきたキャプテンでしたが今月の紫熊倶楽部では、歯を見せて満面の笑みを見せてくれました。
もともとイケメンすぎるくらいのキャプテン。
私はその前歯にちょっとした可愛らしさを感じていました。
本人にしてみれば気になることでしょうが、人によっては見方も違うわけです。
完全無欠のイケメンより、すこしウィークポイントがあるほうが魅力的に見えることもあるわけですから。
しかも気にしてることが気にならないくらいの表情の時は手放しに嬉しい、楽しい時ですからファンとしても嬉しいこと。
見える見えないでキャプテンのご機嫌度合いを測るバロメーターでもあると思っています。

しかし、記事の内容は、深刻でした。

体が動かなかった2016年2017年。
キャプテンを見てきた人達の中では、どうしてなんだろう、なんでなんだろうと思い続けてきたことでもありました。
走り方しかり、ボールの蹴り方、受け方しかり、もともとくせが強い選手でしたので、そのくせが強くなればなるほど、体への負担が大きくなっていることを心配していました。

人間は、自分の思うように楽なほうに動こうとするとどうしてもバランスを崩してしまいます。
そのスポーツに合わせて体の可動域を司る関節の柔らかさ、筋肉のつき方のバランスを取らなければ途端に弱いところにしわ寄せがきます。
プロだからといえ、そこは、普通の人と変わらず、故にコーチやトレーナーがチームにはいます。
2015年の優勝の時は、天皇杯まで戦い、体がボロボロだったところへ2016年は、休むことでしか対処されていなかったのかもしれません。
しかし、休まなければメンタルも正常にならなかったでしょうから。

休む事、筋肉を使うことよりダウンすることが多くなってから、キャプテンだけでなくチームとして個人の力が落ちていったと思いました。
昨年度は、その集大成でした。
いきなり下手になるという不思議な現象。
負けていたのは、選手の体作りができなくなっていたからだと。
当時のトレーナーが悪いわけでなく、チーム全員のコンディションを考えてメニューを組み、なおかつ選手の体の状態を把握するのは難しいと思っていました。
いわんや、プロならばパーソナルトレーナーをつけて自分を磨いてもいいわけですから、それをおなざりにしてるとも思っていました。
だから今回のトレーナーチームは、すごいと思っています。
パーソナルなところも見てくれているのでは、と思っているので。

話をキャプテンに戻します。
2015年、MVPを取ったことで大きな自信になったと思います。
その年の頭、私はこんなことを言われます。
「どんな事でもいいから、伝えて欲しい。もっと上手くなりたいから。」
それは、私だけでなくほかのファンの人にも言っていたと思います。
自分を見てくれている人が自分の知らない自分を見つけてくれるかもしれない。ということだったのではと思いました。
その時にもうひとつ、ある、トレーナーの人からの伝言で「アオのキックフォームが良くない、あのままでは、腰を痛めてしまう」と言われたということ。
その後、キックフォームも走り方も変えて90分のクオリティを落とすことなくプレイしリーグ完全優勝、そして、リーグMVPに輝きます。

その後からキャプテンがすこし変わりました。
たしかに90分走れる体の使い方では、あったのですが、それは、どうも、自分の思ったような動きをしてくれる使い方では、なかったようなのです。
コメントに「自分のやり方」という言葉が多くなり、以前の「痛めてしまうかも」と言われた時に動きに戻ってしまっていたのです。
おなじキャプテンのファンの人も「なんか、自分のやり方でやりたい気持ちは、わかるけど、そのうちこわしそうでこわいよね」と言っていて、やはりそういう風に映るんだ、と、思っていました。

中野さんの「顔から火が出るような」というところ。ほんとにその通りで、火が出てもいいから伝えたいということが何度もありました。

ですが、2016年は、俺のやり方で通したように思いました。
それも、致し方ないよね。キャプテンが選んだ道だもの。
2017年が終わった時にもしもこのままだと、2018年が終わった時に引退してしまうか、それとも、移籍してしまうか、と、思っておりました。

仕方ないよね、自分がやりたいようにやったんだもの。
でも、そうでないとね、自分のサッカー人生だもの。
それを応援するのがファンの役割だものと。

身体も心も追い詰められていたことを知っていながら、なにも伝えることができなかったし、どう考えてもとんちんかんなことしか伝えてなかったと思うのです。
今年もそうなのですが、まったくもって、届いていないと思っています。
(あたりさわりないというか、なんというか)

とある人がキャプテンを評するに「トシは、先生になってくれる人がいないとならない」言われたことは、忠実にやるけれど、それ以上がなかなか浮かばない、というのです。
ですが、自分ですべて考えて表現できる選手というのは、本当にひと握りだけで、言われたことを完璧に表現できる選手というのは、それに次ぐ素晴らしい選手だと思っています。
ですが、キャプテンは、そういう性質でありながら、個性的に見える。
アイデアに溢れているし、ダイナミックで魅せるプレイも出来るし、なにより、サッカーを楽しんでやることをいつも心がけていると、思うのです。

その下地として、自分の思うように動く体が必要でした。
青山敏弘の体は、自分だけの思いでは、青山敏弘が思うように動いては、くれないわけです。
今回のコーチ陣のおかげ、一番落ち込んだところに来てくれたから、素直に受け入れられたかもしれません。

なにが変わってきたか、毎試合、ここがあそこが去年と違う、というところが出てきます。
練習を見ていて、ふくらはぎが大きくなったこと、内転筋が強くなったこと、腰の回転域が広がったこと、全体的に絞れてきたこと。
年明けからほかの選手がついていけないようなトレーニングでも、きっちりとやるキャプテン。
いつ見ても完璧なフォームです。
今年のはじめに見た時は、なんちゅうきついことやらせてんねん、と、思いましたが、ちゃんと腰の様子も見てくれながらということを漏れ聞くとほんとにいいチームだなぁと思っています。
そりゃ、身体も動くようになりますよ。

2016年の終わり頃に「もしもあと5年10年続けるなら今のやり方では、難しいかもしれません。それでも、あおちゃんのやり方でというなら、とことんやって、あと3年で燃え尽きるのもいいかもしれません。」と、伝えました。
なんやねん、このど素人がと思ったことでしょう。ほんと、これを思い出すとほんとに「顔から火が出る」です。たまに思い出してみぞおちあたりが痛くなります(笑)

ですが、わりと、みんな思ってたかも?
それならそれもと覚悟もしていたとも。

今年、復活できるなんて思ってもみなかった。
青山、もう劣化して使えねぇとネットでさんざんたたかれるんだろうな、と、思ってましたから。

もっとサッカーやりたい、って思ってくれてほんとうにありがとうございます。
あと少なくとも5年?応援できるかな。
させて欲しいとおもってます。

意味。

https://twitter.com/7additionaltime/status/987252259061776384?s=21

そろそろ親も歳をとってきて、手をかけないとならないことが出てきました。
今のところ夫婦で頑張ってくれているので、子育てが終わってやっと自分の好きなことをできるようになった私を野放しにしてくれています。

しかし、いつかは、家族のために手を貸さないとならない日がやってきます。
折り合いをつけながら今と遜色なく通うのか、それとも過去のことにしてしまうのか、どうなるんだろうなと思っています。

その時に思ったのが、過去のことにしてしまった時にそれまでやってきたことが何だったのかと思うことです。
まったく無駄な事だったのかとは思いたくないな、というのが最初に感じたことでした。
しかし、無駄な事だったのか、というところにこだわってしまうと、サポーターという自分にすがってしまう自分がいることも否めませんでした。

結論から言うと、この十数年やってきたことは、誰のためでもなく、ほんとに自分のためだけにやってきたこと、誰かに疎まれることはあっても感謝されることはないな、と、いうことで、意味を見出すとすれば、意味はない、と思っています。

話が飛びますが、そう思うのは、日本ではサッカーが文化では、ないから、というところではと思っています。
イタリアやブラジルなどでは、サッカーがいわゆる日本でいうところの神事のお祭りのようにとらえられているところがあると思うんです。
そうなると、歴史あるクラブのサポーターであることが人生の一部であることは、誰もうたがいようのないことだと思うのです。

しかし、日本ではまだそういうことは、ありませんし、だいたい日本でサッカークラブのサポーターをやっててそれに合わせて仕事や家族をコントロールする人生というのが認められるているかと言われれば、まあ、なかなか、ないわけです。

ですが、自分としてはサンフレッチェを切り離してというのは今のところ考えられませんし、去年のような降格危機の事態では、アウェイに行くのは遊びやないんで、勝たせに行くんやけんな、と、家族の前で言ってしまって「あんたは、いつまでそんなことやってんの!」と言われてしまうことに至るわけです。

いつまでそんなことやってんの、と、言われるということは、いつかは、やめないとならないことというか、この娘もヤンキーが更生して真面目になって仕事や家族に注力し、「昔は俺もやんちゃやった…」と懐古するようになるはず、と、思っているということなんですね。
会社でも「サンフレッチェに命かけてるだって?」と言われ「命はかけてないですけど人生かけてますねぇ」と答えて逆にドン引きされるという、やはり、理解し難いことなのだ、ということは、なんとなく、理解しています。

そういう中であればあるほど、自分のしてきたことに意味を求めたいと思うのです。
ほんと、なにかのアンサーが選手やクラブからあるとうれしいですよね。
自分のしてきたことに意味があったのか、って。

このブログに書いてあったのは、サポーターグループでの活動を次世代機託すことで自分のしてきたことに意味があったと思えたということだと思うのですね。

一旦、自分のしてきたことに意味は、ない、と思ったところから、一転、スタジアムの雰囲気を作り続けたこと、その一員だったことに意味があったのかと思うのです。
サポーターというのは、クラブのお客さんでありながらも、やはり、クラブをサポートする人達の事なんですよね。
ガチで全てを捧げている人達から、遠くで少しずつ見守る人たち全てがいてこそサッカーを生業として空間を作り上げることができていると思うのです。

それをクラブがリーグに参加し営利団体として続けられるひとつのピースであるわけです。

去年、一昨年はそこに対する忖度がなかったように思います。
この優勝は自分たちが努力してきたからだ、なんでも自分たちでできる、そんなふうに見えることがちょくちょく。
実は、今も、サポーターをコントロールしたいとクラブは考えてるんじゃないのかな、と思います。

そういう中で自分のサポーター活動に意味を持たせることができるのだろうか、と、ふと思ったのです。
本来、サポーターというのは、自立した存在でなくては、と、思っているので、コントロールされた中でやることには、意味ないなと思うこともあります。

できることなら、ここでもそうですが、クラブがという忖度は、なく、サポーターをして行きたいと常々思っています。
サッカーについては、人にならえということは、できる限りしたくないので。

あれ。
やめるとかやめないとか、やめる気全然なさそうやん(笑)



あと、私がスタジアムに通う理由の半分は、友達に会えることです。
もしかすると、そっちのほうが理由としては大きいかも知れません。
今はそれがあるから行っているようなもんで、サポーター活動については、続けてきたからやってることもあります。

ゆえに友達がいなくなると、行かなくなるかもなぁ。

サポーターとしてやったことも意味があるもなにも、自分のやりたいことをやれた時間があったことが幸せだったんやな。と、思うだろうなと思っています。
それは、自分だけでは、できなかったこと。
家族や周りがあんたの好きなことをやっていいよと、許してくれたこと、今でも許してくれていること、すべてに感謝が尽きません。
これは、いつか恩返しせんとね。


これで、ぜんぜんアカデミックじゃない私の主張を終わりたいと思います(笑)

贅沢言いますけど。

勝つためには、これくらいのことをやらないといけないわけですよ。
相手を上回るには、90分の内で集中を切らすことがあったらダメなんだなと思いましたよ。

でも、張り詰めた糸というのは、切れた時に元に戻らないくらいになるのかもしれないな、と思ったのが、昨日の前半でした。
最初のころの嬉々としてプレスに奔走する姿が少しなくなり、これくらいならなんとか、というところも見え始めました。
それがダメということでなく、そこのさじ加減が上手くいかないと間違いなく中断明けに気持ちが乗ってこなくなると思っています。
考え方次第なのかもしれませんが、もう、次を考えている選手もいるように思います。
先日のルヴァンでは、できる限りポゼッションしていましたし、ボールを持つことで作るサッカーとボールを持たないことで作るフィールドの相反することをひとつのチームでやる事の難しさを見たように思いました。

いつまでも相手のミス待ちでは、できません。
磐田や名古屋のようにワイドな布陣を取られるとたちまち90分プレスができなくなるのは当たり前。
そこで相手にそこそこいいFWがいればバックラインのミスから失点する可能性は大いにあります。

ですが、今のところ前半は、中盤での抗争で抑え、後半、相手の足が止まったところから畳み掛けるということがうまく行ってるので、ラスト15分まで中でやり取りしてても負けることはないと思います。

だけど、ひどいことを考えると今年はずっとこのサッカーしか見られないかも知れません。
いくら勝っても同じことしか見られないというのは、そこまで見に来なくてもいいかもしれんな、と、思ったりもするわけです。
今年は、応援することと、見て楽しむことは、別問題なんだなと思っています。
チームがやってるサッカーが面白くなかったとしても、勝つために応援するんです。
勝ったという結果に満足できるなら素晴らしい一日なんです。

去年のことを思えば贅沢なのかもしれませんが。

去年は、デビューからのいろんな山谷を見てきた選手達が試合に絡むようになってきて、どんなサッカーができるようになるんだろうという思いもありました。
自分の個性をだして必死でボールを追いかける姿にワクワクしました。
それがなくなった今年。
勝つだけのための毎試合おなじようなことが繰り返される試合…まあ、勝てばね、うちみたいな貧乏クラブは、まずそこが、なんだから…


だから、昨日の渡くんには、大きな期待をしていました。
確かにまだまだJ1のというところには及ばないかもしれませんが、そこにいることができることがまず、先決。
それだけJ1という舞台のレベル差は、感じていると思うのです。
それでも呼ばれれば立たなければならない。チャンスを作らなければならない、チャンスをものにしなければならない。
今年1年はしんどいかも知れませんが1年が終わった時に気づくたくさんのことを今吸収してもらって、来年でも再来年でも、J1デビューイヤーは、大変だったよ(笑)と言えるようになってほしいのです。
そういう意味では、渡くんやまっちゃんは、楽しみな選手であるんですよね。
ヨッシーは、もうお兄さん側になりつつありますから、ある意味やるのが当たり前な感じで京都から帰ってきたのですから楽しみ~というより、やれよ!的な(笑)
ソウヤくんも復帰したら同じ扱いかもしれません(笑)

話は戻って、勝つことは、いい事なんですけどね、選手の個性が見えてこないサッカーというのは、実際、チームの魅力半減なんですよね。
勝ちたいからやってるんだと思うんですけど、次のレベルでは、もっと、俺らしさを見せて欲しいと思います。
(それおもえばムイさんは、やってるかもね!)

試合終わりのキャプテンのお疲れな様子が気になりましたよ。
お疲れっていうか、納得いってないというか。
シーズン最初から勝っても浮かない顔してた事が多くて。
今年ご機嫌だったのは、マリノス戦の後くらいでしたもんね。
キャプテン攻撃作りたいと思ってるかもしれません。
もっと試合の終わり頃でなく、中盤で意図した攻撃からの得点ができないとならんよ、と思ってるかも知れません。
もともと攻撃好きだから。見てる方も楽しいのわかるし。

贅沢言いますけど。そうでないとお客さん、増えないとおもうんで。