天皇杯で楽しむ2021のJリーグ | gogo!320che⇒サンフレッチェ

天皇杯で楽しむ2021のJリーグ

昨日の天皇杯、すごかったですね。

観客も増えたし、しかも浦和はベテランが引退したり、戦力外になったりしていて大分は、降格していて監督が今年限り。

どちらもこの試合が終わればこれまでの何年かと違う季節が始めるという、もう少し、待って2021年よ・・・という

切なさが伝わってくるような試合でした。

大分、川崎の120分とPKは本当に見ごたえがあった。

はやり、川崎か・・・と思わせたところへ訪れる大分のチャンスをものにして、サドンデスまでに持ち込んだ。

この2チームは降格チームと優勝チーム、サッカーってリーグだとここまで順位差があると力量にも差があるはずなのに、やるとなったらやれる、これが人の力であり、チームの力である、ということ、こういうことがあるからサッカーは面白いしチームスポーツは面白い。

自分は、個人競技しかしたことがないので「チーム」という概念が実のところわかってないのです。

だけどチームになった時の爽快感というのは、こういうものなのだろうな、とか、チームとしてうまく行かないというのは、こういうことなんだろうなとというのが、おぼろげながらわかるようにはなってきました。

でも、それはこの数年なのです。

何年も見続けてやっと、チームの素晴らしさや、チームになれない時の辛さを少しだけ感じる事ができるようになりました。


クラブチームというのは、年齢性格国籍も様々な人が毎年入れ替わるから、「この年は、いいチームでやらせてもらった」とおもうことがあると思うのです。

チームというのは、もはや昨日のような試合になると誰かがコントロールするということはできず、せいぜい、崖に落ちないように手を添えておくのが精いっぱいで、その手から零れ落ちず、うまく、レールに沿って走ってくれれば勝利につながったりするような、そんなセンシティブで複雑なものなんだろうなと思うのです。

そっと、やさしく扱うのか、網でまとめて引きずりまわすか、どちらにせよ、チームを一つにまとめて勝利に導くことの美しさや激しさを久しぶりに観たように思いました。

 

今年は、サンフレッチェについては、何も思うことができなかったので、なんのためにスタジアムに通っていたのかわからないくらいでした。

行かなければいいのにとおもいつつ、突っ込んだ賭け事はいつ勝てるかわからないので、これは、行き続けるしかないんだろうなとおもいつつ(結局、体力的にしんどい部分を削除して)ホーム全試合観戦しました。

ほんとに全部行ったのか?というくらい覚えてないというのが私の2021年です。

 

批評しようがない、ということでしたが、最終戦がおわって、ぽつりぽつりと「あれはなんでああだったんだろうね」という疑問も生まれてきました。

思いつくままに書きますけど。

ふと、この4年間できるようになったと思ったら違うサッカーに変える、というそれまでからすると不思議なことをしていましたが、あれって、前監督は一つのサッカーでうまく行くなり、勝てるなりすると、次の段階へと進んでいたのでは?ということだったんでしょうか?

特に解説がないので、私は、今年においては、もはやチームを自分が完全掌握したいがばかりに選手が自分の思いと違うプレイで勝ったりしたら、サッカーごと変えてその選手がうまく行かないようにしているのでは?と、まで考えていました。

自分の気に入ったプレイをする選手、そうでなくても特にサイドで結果を出すと自分の思うようなプレイでなくてもいいのですが、特にボランチは、チームの心臓部ですから、思うようなプレイでないと即、方法を変えられてしまう、ということになっていたように感じます。

青山選手は、フィットしなかった、と言ってましたが、フィットしそうになったらやり方を変えるのでそりゃなかなかフィットしませんよ。

ハイネルさんのように、かき回すうえで、自分のプレイを入れる選手が相棒なら、青山選手もその陰に隠れて自分のプレイができるようになったと思うのです。

引き分け続きでしたが、夏以降、フィットしてきたかな、ということにもなってきました。

その変更につぐ変更についてこれなかったのは、荒木君だったと思います。

しかも彼には、分不相応なプレイが要求されていたと思います。

イリアンストヤノフがごとく、リベロから一本入れろ、ということだったのか、何回かやりましたが、あれができるのはイリアンだからなのであって、誰でもできるわけでは、ないのです。

選手のスキルを無視してやらせることをチャレンジという前監督の無謀さというのは、本当に辟易としていました。

やらせてできればいいですが、たいていできないんですよ。そもそもそのプレイができる基礎が備わってないので。

そういうレベルが追いついてない選手に「チャレンジ」と称してやらせるもんだから、周りも困るし、チームも崩れるし、なにより失敗する本人も落ち込むと思うのです。

「お前ならやれる」とか言われるんでしょうか。「成長」とか言うんでしょうけど、その選手のベースにあるものがなになのかを見極めたうえで、チャレンジすることを勧めるというか、本当は、選手が自分これできます、から、練習で披露してそれがものになるかどうかを監督が見極める、育成なのかもしれませんが、プロになれば、自分が何者かわかった上で臨んでほしいと思うのです。

 

個々の選手が自分をこのチームでどのように生かせばいいか、考えないとなりませんよね。

結果ベテランがチームを引っ張るようになるのは、コーチ陣が若手にベテランの思考になるまでの手助けをしなければならないのに、その思考が伝えられてないということになるのではないかと思ったのです。

 

ミシャやオシムが自分で考えさせたのは、チームの中で自分をどのように動かすか、周りをどのように動かすかは、自分がその場で判断しなければならないということを言っていたのだと思うのです。

その自分を動かす理由を他人にゆだねていては、ならないのです。たとえそれが監督であろうとも。

彼らは、チームにそっと手を添えることしかできないのですから。

 

一つにまとまるには、選手の結束がないとなりません。

自ら、選手同士、手を組み、肩を組むようなサッカー、そういうサッカーが天皇杯決勝でも見られそうですね。

サンフレッチェの選手たちもこの一戦に注目し、自分たちの2021年と照らし合わせてもらえたらな、と思いました。


ラストそんな試合が見られたら、サンフレッチェの分までスッキリするのにな、なんて期待しています。