チームとして。 | gogo!320che⇒サンフレッチェ

チームとして。

調子が悪くなり、敗戦が続くとどうしても勝てない理由をなにかひとつにしたくなるものです。
実際は、多くの要素が重なり合ってそうなったものなのに自分が見てしまった一つのミスや一人のプレイヤーが引き起こしたものと思いたくなってしまいます。
原因を究明することでまずは、その場から逃れたいという思い。

しかし、致命的なミスがあったとしてもそこに至るまでのプロセスを見返してみれば、そのミスが起こるまでにおおくの敗戦に至る要因があったわけです。
敗戦が重なれば重なるほど、自分は、そこに加担しないようにしておこう、という気持ちになり、連携ができなくなりチームスポーツ形すら失ってしまいます。
そうなると、いくらスキルの高い選手をピッチに送り出したとしても勝てるサッカーができるようになるはずもありません。

最初は、小さな不信感から始まるのかもしれません。
本当にこのサッカーでいいいのだろうか?
コメントには、監督のすることを信じて疑わない、と出ていますが本当にそうなのだろうか、と、シーズン前半は、幾度も思いました。
納得できないことをしていては、体が反応しなくなるのは、当たり前であれだけのプレイスピードを持っていた選手が見る間に動けなくなるのを
目の当たりにして、いくら優れた技術を持っていたとしてもチームとして機能しなくなればトップリーグのチームが一般人のチームのそれを変わらないようなサッカーしかできなくなるのだと思いました。

彼らは、動く気がないわけでは、なかったのです。動けなかったのです。
分断されたチームは、相手にとってダミーが並ぶ練習場のようなものでなにも考えなくてもパスが通るという状態だったと思います。
そういう自由な相手に一人で立ち向かわなくては、ならない選手は自分がボールをどこに奪いに行けばいいのか、どこに出せばいいのか組み立てることすらできなかったのだと思います。
サッカーをしている人に聞くと、自分の体力がないとかでなく相手のレベルが上の時、まったく身動きが取れなくなることがあるそうです。
右へ行っても左へ行ってもいなされる、を続けられると動けなくなると。

チームとして機能することができれば、そういう状態の選手がいればサポートに回ると思うのですが、そこに関わることをやめてしまっていますから、その一人の選手が動けなくなり、見ている側としては、ボールを取れなければ、その選手のミスということになります。

FWにしても同じことが言えるわけです。
水曜の天皇杯、多くのチャンスが生まれたにもかかわらず3点目以降を決めることができずに、敗戦してしまいました。
試合終盤、工藤くんに多くのシュートシーンがうまれましたが、1ゴールも決めることができませんでした。
私が見ていた柏の工藤君は、スペースに逃げながら中をうかがい、人数をかけた攻撃の時に中に入り込みアタッキングサードのようなポジショニングからゴールを奪う選手でした。
もっとなにか一人で打開できる選手だと思っていましたが、彼は、そこまで足が速いわけでも足元が抜群にうまいわけでもないので、一人でどうにかしようという期待には、応えられないかもしれません。
しかし、パトリックやみなくん、柴さんや柏君がPAに入って勝負できている時であれば、工藤君の出番がくるかもしれないのです。
そういう時に針の穴を通すようなシュートを打つことができる眼をもっていると私は、思っています。
そういう自分のストロングでないところでも彼は、戦っていたのだと思うのです。
せめて彼の前にひざ下のクロスを入れてあげることができれば、彼を飛び込ませてあげられるようにもっと前線の2人が相手DFを引き付けておければ、ゴールできるのでは、ないかと思います。

ボランチにしろ、サイドにしろ、今は、まだ守備構築に重きを置いている状態なのでパトリックやロぺのように一人でどうにかする、JのDFの上をいくようなアイデアを持った選手でないとせめてスコアレス、という状況に持っていけないと思うのです。
ロぺは、ロストが多いですが、狭い範囲では、あるけれど攻守において相手が嫌がるポジションを取ることは、できています。
しかし、それは、「ブラジル式」であるがためにほかの日本人選手とは、いまいち合わない。
だけど、怖い位置にいることは、変わりないので彼にボールが入ると3人くらいのDFが寄ってくるし、ファールしてでも止めようとするわけです。
それをかいくぐってでも行けるような選手なら今頃日本には、いないだろうと思うのです。

シウバやロぺ、パトリックとうまく合わせようする選手が実のところ思ったほどいないのでは、ないかと思うのです。
練習を見ていてもコンビネーションというより、あとは、任せた、というところでしょうか。
ボールを出した後は、ブラジル人選手と日本人選手の駆け引きがあまりないように感じるのです。
そこに一石を投じようとしてるのがロぺと壮也くんでは、ないかと思うのです。
この二人、練習終わりのダウンで一緒に走っていたり、談笑していたりとコミュニケーションを
取っているところをよく見かけます。
それは、丹羽くんもおなじく。
少しずつでは、ありますが、近寄りつつあると感じています。
試合では、壮也君の前にシウバが来ることがあるのですが、この壮也君とシウバのコンビが最悪でシウバにもプライドがありますから若造のオーバーラップにパスなんぞ出したくないわけです。
うまく行かない理由をお互いにぶつけるわけではありませんが、ブラジル人選手たちと日本人選手たちの間になにか相容れないものがあるのでは、ないかと私は、感じています。

横浜戦は、シウバの後ろでプレイすることになり、うまく行くのだろうがとおもいましたが
なんと、ここのコンビネーション、以前福山での天皇杯で見たときのあのひどい状態から一変、なんともスムーズにやりとりできているでは、ありませんか。
壮也君が試合になれて、うまくなったのもありますし、シウバに余裕がでてきたのもあります。
しかし、オーバーラップしても1本のパスも出してくれなかったシウバがパスをくれたとき、こういうシーンがほかの場所でも見られるようになればいいのにと思うのです。

もしかすると、ロぺが持ちすぎるのも「信用」とか「信頼」の部分でほかの選手が思った動きをしてくれていないのでは、ないかとも思います。
実際、もっと前に行けばコースがあるのに、と思うことがしばしばです。
そうこうしているうちに囲まれてロストしてしまうから、彼のミスということになってしまうのですが、だれが取りに行くのか、ということがすりあわされていないとすればそこでつながることは、ないでしょう。
そこをキャプテンがオーガナイズしているのか?と私は、思います。
中盤の中心で今もコンダクトを取るキャプテンには、多くのタスクが任されています。
その中で、自分がフリーになることもしなければならないし、アタックもしなければならない。
そのうえで前線のコントロールもしなければならないのです。
いや、本当ならば前の3人でやりきらないとならないことなのですが、どうもそれができていない。
できていないことの責任をだれが負うのか、というところで、そこは、キャプテンでしょ、ということになると思うのです。
ヨンソン体制に入って間もないころ、キャプテンがよく声をだしていると聞きました。
やるべきことは、全体統率だということは、認識しているんだなと安心しましたがシステムが浸透しはじめると、各選手に任せる部分が増えてきました。
それぞれがプロフェッショナルとして自分の力を最大限に発揮にそれの融合がチームであると思うのです。
2015年の年間優勝は、そういうチームであったから成し遂げることができた快挙であると思います。

しかし、今は、そうでないことを受け止めてほしいのです。
あの時のチームになるのは、これからまた何年もかかるでしょうし、もしかするとあの時のようなことは、二度と起きないかもしれないのです。
あれが理想だとは、思うのですが、あれは、夢がかなったという稀な出来事。
キャプテンには、早く現実に戻っておいで、と、いつもおもうです。



書けばいくらでも出てくるので、一旦ここで。
ほんとに、いくらでもでてくるんです。
原因は、一つではない、彼らは、チームとして戦う仕事を選んだのですから応援する側もチームとして見てあげられないものかと思うのです。