戦後80年
昭和19年(1944)6月16日は「北九州初空襲」
昭和17年(1942)4月18日、アメリカ空母艦から日本本土初空襲
後、2年かけ、改良されたアメリカ爆撃機B29によって、中国
の成都飛行場より北九州初空襲。
死傷・行方不明者633名、家屋破壊318戸以上。日本を往復出来
ると確信。その後、各地に空襲激化。1945年8月6日広島原爆、
8月9日長崎原爆。8月15日終戦となりました。
平成7年(1955)に「旧小倉陸軍造兵廠」の給水塔保存運動の際、
造兵廠の空襲犠牲者学徒動員達70名は、内密にされた事が発覚。
何とか形にして伝承させたいと北九州市民運動となり、平成12
年(2000)12月14日「旧九州厚生年金会館」前に「北九州平和祈
念像」建立。
歴史説明板が無く、同じ様な史跡が多い事に気付き、平成19年
(2007)から参加者の皆様と「小倉城下町平和ウォーク」で献花、
その後永照寺「旧小倉陸軍造兵廠空襲犠牲者の碑」供養。
コロナ禍からは単独。
2025年6月16日
永照寺「旧小倉陸軍造兵廠空襲犠牲者の碑」造花替えと供養~
「北九州平和祈念像」献花と雑草除去。
その後のヒマワリの花束は、「北九州平和祈念像」の支援者
吉田幸正市会議員事務所、奥様がお父様に御備えとの事。🌻
「北九州再発見」民谷喜美子