少し休憩。
休憩時間に、当時の記憶と感想を書き残す。
当時は夢中だったし、放射能汚染から逃げても、結局ガレキ受け入れのせいで、放射能汚染から逃げられなかった悔しさと怒りの方が怖さを上回っていたので、怖さを感じなかった。
でもこうやって書き起こしてみると、めちゃ怖い。
反対運動に熱くなると、判断力がなくなり、放射能汚染より怖い結果になりかねない。
冷静になることは、難しいけど、一旦振り返って冷静さを取り戻す努力をしなければならなかったと、今は反省している。
ガレキ受け入れ反対運動で、マリパロンに関わった三人(うち一人は銃殺、他二人はアラフォー、アラフィフ健康体の突然死)がたった1年弱で、三人も亡くなっている事実はデカイ。
偶然が重なっただけという考え方もあるが、マリパロンを支持し、マリパロンの近くにいた二人が、突然死で立て続けに二人亡くなった。
そして最後は、ガレキ受け入れに反対していなかった漁業長が銃殺された。
あの騒ぎの中にいた者として、偶然とは思えなかったことを思い出した。
三人が亡くなった数年後にマリパロンが議員になったことを知った時、本当に背筋が凍った。