ガレキ受け入れ二重契約についての記者会見で、弁護士のエスベンが書いた意見書よりミッチーが読み上げた意見書の方が説得力があった。


というのも、当時の私には何が何だか分からないことだらけでしたが、「ごみ処理は自治事務だから、そもそも他の自治体のゴミを受け入れるガレキ受け入れは違法」という内容だった。


市は必死に否定していたが、清掃工場付近に住む住民(自治会)の同意なく、他自治体のゴミの受け入れ契約は出来ないということが、ミッチーが読み上げる意見書を聞いて、


何となく「絆」でガレキの受け入れは出来ない。


ってふんわり理解できた。


マリパロンとエスベンは、「門司の自治会長が反対している、漁協が反対している」と言っていたが、マジで反対なら受け入れは出来ない。


ミッチーの意見書を聞いてハッキリと、マリパロンとエスベンはガレキ受け入れが止まらないように、反対運動を管理している。「反対運動のおかしさ」に気づいた。


ミッチーの意見書を聞いた後、他の弁護士の話も聞きたいと思って、トエに誘われ数名の集まりに参加した。その中にミッチーもいた。


ミッチーは既に九州で有名な清掃工場建設を止めたことがある弁護士に連絡して、断られたと言っていた。でもその弁護士から別の弁護士を紹介してもらえた。


この集まりで決まったのは、


①ミッチーと私が紹介された弁護士に会いに行くこと。


②意見書を書いた本人(シャーク大佐)を呼んで勉強会を開き、ガレキ受け入れを止める方法を教えてもらうこと。


③ガレキ受け入れを止めるだけの会をつくり、動ける人を集めること。


が決まった。


後日、ずっとマリパロンとエスベンから「スパイ」扱いされていたミッチーと直接話す機会をつくり、具体的に日時を決めていった。


子どもたちを放射能から少しでも守りたくて、全て捨てて避難したんだから、せめて笑顔で過ごすことぐらい許して欲しかった。


このころは、まだ希望を持っていた。


でも、この反対運動を通して、私達市民に人権も自由もないことを思い知る。


気づいてる人も、気づかない人も、やりがいも希望も持ってはいけない世界に私達は生きている。